雨のリグレット‥

稲垣潤一氏の歌で「乾いた交換の声が‥」と言う歌詞を思い出すんですが
 
彼の言ってる「交換」の声とは、現在のコンピューター合成の音声ではなく、まさに「生の声」の時代でした。
暇なので動画を色々と見てたら、こんな動画にHitして色々と思い出したので、書いてみたいと思う。
 
少なくとも私が高校生の頃までは、こんなノリの音声だった記憶がある。
 
それと市外通話する際には、隣市外(茨城県大津・福島県双葉郡)でも
 
明らかに市外に掛ける様に「相手の呼び出し」がなるまで時間が掛かった。
 
東京や北海道に掛ける時は、
 
さらに、あからさまに時間が掛かり、相手の声も「遠くに居る相手」と意識する様な不明瞭な物だった。
 
いつからだろう?今の電話は、当時の市内に掛ける様に遠く離れた相手に繋がる様になった。
 
当時の感覚からいえば「まるで市内に住んでる相手に電話してる様な声の明瞭さと即呼び出しが鳴る」
 
当時の話を書けば「混線」も、しょっちゅうで、混線相手も「なんか声が聞こえない?」とか言ってて
 
話しかけてみたら、こっちの問いかけに返事が返ってきた。
 
今じゃ考えられないけど、30代後半以降の方なら分かってくれると思うけど
 
当時の遠距離電話って、そんなモンでしたよね。
 
そうそう暇つぶしに電話帳を見てたら「国際電話」の掛け方が書いてあって‥
 
わざと「ありえない様な番号」に電話して、
 
各国の「おかけなおし下さい」アナウンス(当然現地語)を聞く様な遊びをしてみた。
 
ありえない番号の常識は「あくまで日本人の常識」での話で、実際に繋がった時はビックリでした。
(呼び出し音も映画で聞く様な外国の音だし)
 
当時は「相手が誰か?番号が先に出る訳でも、聞かなきゃ番号が出る訳でもない」ので
 
そんな遊びが出来たんじゃないかと思う。
 
電電公社も「よっぽど酷い場合」じゃない限り、悪戯相手に警告してくれませんでした。
(と言うか警告に電話局員が相手に言ってくれる‥ってのもアナログな時代ですよね。)
 
その後、実際国際電話は「繋がらなくとも料金」も掛かる事を知らなかったが
 
翌月の請求書を見た親に「しこたま怒られて」その遊びはしなくなった。笑
 
暇つぶしに「電話帳」暇つぶしに「国際電話」今の感覚からすると「ちょっとオカシイ」風に見られそうですが
 
昭和の末期、今の様なwebも携帯も無い時代、遊びは自分で考える物で
 
現在の様に人が介在したり人が作ったモンで遊ぶ物ではなかったな。
 
そういえば番号案内の104も当時は無料だったし、オペレーターの人も「愛想のいい人」も多かった。
 
あのイメージで今104に掛けると「物凄い事務的」で「コンピューター相手」にしてる気分になる。