文字が綺麗‥

のっけから言えば「私は文字が綺麗でも上手」でもない‥
今まで生きてた中で間違っても「字が綺麗ですね」と言われた試しがないと言えば想像が付くであろう。

ブログの更新頻度、文字数をみれば「文字で何か表すのが嫌いではない」のは分かって頂けると思うが
実際の「生の筆記」は「文字が汚いコンプレックス」があって実は苦手であります。

学生時代の鉛筆がメインだった頃、マジックを使った文字書きは「ある程度の妥協点」までは行ける‥
や‥あくまで自分の感覚でだけ「マシ」だと思ってるんですが‥

ことボールペンになると本当に「物凄い苦手」‥
↑と言ってられるのであるから社会に出てから「事務方」の仕事が少ないのも分かってもらえると思う。

そうはいっても領収書や、その他、ちょっとした文字は書かなきゃならない場合ああるんですよね。

ウチの職場で「物凄く字が上手な方」が居る。
お世辞抜きに「字が上手ですね!」と言ってるし、お客さんにも度々言われてる。

人間、結局中身は見えないんだから「外見」と言う事になり
若い頃は「格好のいい奴」歳を取れば「紳士な方」が何かと得をしてるのは
自分がそうではないから分かる(分からない人は多分↑に該当してて気付いてない)だが

そう言う人が、じゃあ本当に中身が外見の様に格好いいか?誰しも認める中身のある人間か?は
実は全然異なってたりもする。

外見のことなんざ、私なんぞ、いまさら、どうでもいいので↑は気にもしなくなったが

文字と言う点では、「頭の賢さが見える形」で出る様に錯覚する部分でありますよね?
(賢さ=勉強が出来るというのだけではなく生きる為の「機転」とか「行動力」とか「対人スキル」とか)

会社の文字が綺麗な人は、実は仕事は、言っては何だけど「そんなんでもない(^^;」
対人においても空気を読んだり、相手が何を言いたいのか掴むのが苦手で
自分が何を言いたいか?を簡潔にハッキリ伝えるのも苦手。
仕事も手際が、申し訳ないが悪く時間が掛かる方だと言わざるえない‥

でも『文字が物凄く上手』領収書なんぞ渡す時は最後の最後のシメですよね。
そこで「隠れた才能」を出すから「この人本当は出来る人なんだ」と相手に思わせる事も可能。

逆に私は幾ら頑張っても「最後にミミズが這ってる様な文字の領収書を渡せば」
あ~こいつは「作業仕事に特化したバカだ」と思われてる気がしてならない。
(実際そうだから、ここまで気にしてるんだけど)

学生の頃、もっとマジメに文字を綺麗に書く様に勉強してれば良かったんだろうけど
いまさらねぇ‥それに「気質」とか「才能」も文字の綺麗さにはあると思うんですよ。

そういえば「相手にちゃんと読んでもらおう」と思えば微塵でも多少は文字はマトモにはなる。

思い返すに学生時代は自分が書いたノートは自分しか読まないんだからと
「文字は読めればいい(いわば殴り書き専門。笑)」と機能点しか考えてなかった。
もうちょっと「書く」って事に華麗さを求めておくべきだったのであろうか‥