逆ダム穴?(円筒分水)

昨日、ダム穴と呼ばれる「ダムの排水口」の画像を特集してる場所で、
おまけ…として紹介されていたのが「逆ダム穴」ともいえる『円筒分水』の画像です。

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(‥と得意気に名称を書いてますが、名前は昨日知りました。(^^;)

<円筒分水とは?引用>
円筒分水(えんとうぶんすい)は、農業用水などを一定の割合で正確に分配するために用いられる利水施設。円筒状の設備の中心部に用水を湧き出させ、円筒外周部から越流、落下する際に一定の割合に分割される仕組みとなっている。地域によっては「円形分水」(えんけいぶんすい)とも呼ばれる。土木工事分野では「円筒分水工」(えんとうぶんすいこうと呼ばれる(原義は工事名称であるが完工した設備も同様に呼ばれる)。

サイフォンの原理などを利用して円筒中心部に水を導き、その水が円筒外縁部を越流する際に外縁部に設けた仕切りで分配するものや、外縁部に設けた穴の数によって分配するものなどがある。
右図は外縁部を越流させる構造の場合を図示したもので、外縁部に設ける仕切りの間隔と同比率で、用水が正確に分配される。 仕切りの間隔により、分水比が一目瞭然であり、誰にでも公平さが納得できる機能美を併せ持つといえる。 これにより水争いに平和をもたらした、という説に納得させられる。

水田耕作が主体であった日本では、各地で農業用水の確保にまつわる喧騒が絶えず、農業用水の正確な分水は長く懸案であった。そこで、大正年間より各地で似た構造の分水樋が考案され、造られはじめた。
当初は高低差を利用して導水する方式のものが造られたが、1934年(昭和9年)になると福島県や長野県などで地下から吹き上げる方式のものが造られるようになった。ただし長野県に造られた施設では円筒を使わず、分水樋の中央に吹き上げられた水が放射状に拡がる原理を利用したもので、流水量に偏りが生じるといった欠点もあった。
上記の欠点を克服するために、円筒状に組んだコンクリート設備の中心にサイフォンの原理で導水し、円筒を越流させて分水する方式が考案された。この方式を採用したのが神奈川県川崎市高津区久地にある久地円筒分水(国の登録有形文化財)で、同地にあった二ヶ領用水の分水樋の改修に際し、1941年(昭和16年)に造られたものである。この方式により平地の用水路でも正確な分水を実現できたため、以降、同様の方式のものが全国各地に造られるようになった。

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安積疏水・白江幹線円筒分水工
</引用終わり> 引用元→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E7%AD%92%E5%88%86%E6%B0%B4

‥なにっ?今「福島県」って言わなかったか?
って言うか上の朝積=郡山?中通りなんですよねぇ。あまり気楽に行ける場所ではない‥

って言うか、私が中学だか高校の頃の夏に、友人と自転車で海まで行く際に
道路際で見かけた「無骨な噴水らしきもの」‥あれって「コレじゃないのか?」と思い出しました。

「いつかアレの正体を死ぬ前に、体の自由が利く間に」つきとめてやろう‥とは思ってたのですが

(↑ココに限らず沢山あります。いい歳して相変わらず脳内はガキ。笑)

流石に昨日は、もう日暮れ後なので、翌日仕事が終わって、天気が良ければ行ってみよう‥と言う事で寝た。笑

んで、翌日現地入り。
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デデ~~~ン!!
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どょ~ん‥み、水が上の画像のより汚くないっすか?笑
(付近の川から取水してるので、まぁ、こんなもんです。)
残念ながら「マイナスイオンを感じる」様な事もなく、夕方は蚊に刺されまくられそうな。(^^;

上で書いた、自分が中学だか?高校の時は水が無く
巨大な噴水がポツンとあっただけで、当時は、確か‥この様な立派な石碑がなく、イメージ 6
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こんな田圃のド真ん中に親水公園?意味が分からん…とか思ったままの謎が、やっと解けました。
(※注意:碑文の中の"部落"とは西日本の差別系のアレではなく、単なる集落です。
現在に東北には、そう言うヘンテコりんな差別の習慣や学校教育は、ありません。)