「Kビレッチ」へ。

う~んと、どの辺りの小学生が、ここで宿泊したか?良く分かりませんが
現在の「海浜少年自然の家」が出来るまえに存在した「子供の村」に、ついての気になる物件を訪問してきました。
(ちなみに少年自然の家は震災前は福島市等、市外の小学生も訪れてましたが‥現在は、稼動してるのかな?あの施設‥)

まずは‥現在の地図では「こどもの村」があった位置が造成で工業団地に変わり果てて
さっぱり現役時代の面影が分からないので、昭和50年代の航空地図から。
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私が運転免許を取ったり、20代の頃も、ずっと「こんな」でしたので非常に馴染みがあります。
逆に現時点での風景の方が、えらい違和感があるのが相変わらずで‥

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これは現時点よりも少し前である2009年。
現時点では、震災後に工業団地に建物が建ち、仮設住宅もあるので、これより建物が多いです。
(区画は同様)

現時点の画像はグーグルなりyahoo地図で見れますし
建物が無い方が分かり易いので2009年のものを引用しました。

凄く大雑把ですが、各施設と、道の特徴がある部分を70年代の写真に書き入れてみます。
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↓次に2009年の方の同じ位置に書き入れてみます。
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サルってのは、確かサルが飼育されてて、シコシコ始めると延々シコシコしてる‥とか
そんな噂はあったけど、せいぜいクソを投げてくるくらいだった様な。(それも凄いけど。笑)

駐車場は、まさに駐車場です。
遠方から小学生を乗せたバスが駐車出来る様に、かなり広大です。
オフシーズンは静まりかえるので、乗用車で来て、休んだり、車イジったり磨いたり出来ました。
(管理の人は常駐してるので物騒な所でもなかった。)

バンガローは男児用の宿泊施設で、女児は食堂併設のキチンとしたた建物。
たしか風呂もあった気がします。

自転車交通~は、自転車を貸し出していて、それに乗って交通規則を学ぶコースがありました。

ダラダラ坂は、まさに「名前」の通りで、片勾配の直線の坂が延々続き
歩きで登ると、かなりカッたるい坂でした。(実際歩いた事がある)
現時点では道が作り変えられて、交差点が出来て、その名残を探す方が難しいです。

バンガローやら、交通広場の辺りは、本来「山を下った下の盆地」だったのに
造成で、道も作り変えられ地形いすら変わっていて跡形もありませんから、特定は現地では困難です。

実は私も、この航空写真で、気付いたのですが‥
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「ここ」って書いた部分のカーブ(削った法面の形状がソックリ。
そう分かると池の形状も中央の林の部分と合致しますので、多分間違いありません。

さて‥ここまでが実は前置きって言うか‥ですよ。食堂・宿泊施設が、まだ残ってます。
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yahoo地図の航空写真は、結構古いので(2011年の震災前のもの)で、現時点を考えるにはアテになりませんが‥

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グーグルの地図は去年くらいのもの(つか2013年だから一昨年か‥)ですが、残ってるのが確認できます。
って事で、探索に出向く計画を去年してました‥が、いつの間にやら「正月休みでいいか」って事に(^^;

じゃ早速、以下は現地画像で。まずは駐車場から。
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車両進入禁止とはあるけど、立ち入り禁止ではない‥ので、立って歩き進みます。

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当時の姿を良く覚えてるので、この荒れぷりは‥悲しいですね。(駐車場です。)

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当時を知らないと、この先に道とか建物がある(あった)とか、信じられない姿ですね。
ちなみに「自慰猿」が居たのは、この画像の右側です。

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建物へ到るS字の入り口です。柵が無い方が、かえって「すでに道が分からない状態」ですね。

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数日前に少しだけ降った雪‥ですが、この辺りは降った量が多いらしく、まだ残っています。
これがS字の登坂路です。舗装が残ってるので見た目程に歩き辛くもありません。

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さらに登ります。
雰囲気は、さながら某所の旧道って雰囲気です。
こどもの村自体が閉鎖されたのは何時の事やら‥少なくとも10年は経過してます。

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さらに登ると舗装は残ってるのですが、以前は道であったのが、信じられない感じになってきます。

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あった。( ゚д゚)残ってました。
途中の道が残ってるのは、解体する際に使う為とか?でもあんなに荒れてたらなぁ。
多分、本来は「もっと早く解体」する予定だったのかもしれませんが
震災で予算が尽きたり、業者が居なかった‥とか、そんなこんなでしょうか。

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おおぅぅ‥や、廃屋に入る気はありませんよ。
旧道、廃道路マニアではあるけど、廃屋マニアではありません。
ってか廃屋は敷居が高いし、装備も必要だし、危険度は「道路」の比じゃありません。

問題は床が落ちて転落とか、釘を踏み抜いて裂傷を負うとか‥とは、別に「もう1点」
ホームレスが住み着いてる可能性もあります。彼らは捨てるものがありません。
そう言う人は、その辺のヤクザやらチンピラなんかよりも危険です。

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つか、入った人が居るのねぇ‥度胸あるわ。(無謀って意味で呆れてる意味で。)

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中をチラッと除いてみましたが、まさに「昭和が、そのまま残ってる」って感じでした。
あ‥アホが写ってますが気にしないでください。苦笑 まぁ今回ナメてて「かなり軽装」です。

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何ってか窓に事務室だの食堂とか書いてあるのも昭和の遊園地みたいな雰囲気で‥まさに昭和ですね。
でも建物自体は比較的状態がイイ気がします。海よりは離れてるし雪も降りませんからね。
建物はサッシ窓と欄干の形状から昭和40年代後期~昭和50年代前半の作りの気がします。

やぁ‥今回が「ヒトケの無い山の中の取り残された建物」目的は初?だった気がしますが
ど~も、上に書いた理由を抜いても、廃トンネルだの、廃橋だのから比べても
雰囲気的に「苦手」って言うか「怖い」んですわ。何の理由か分からないけど
生活臭がある建物と、生活臭がない道だ線路だは別物ですね。さ、んだのでサッサと帰路に着きます。

今度は階段があるので、そっち方向へ‥
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アクシデント発生!
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鳥が居たんですが、それを知らずに歩ってて鳥がビックリして飛び立った訳ですが
俺様もビビって「ナンだ!おりゃ~」とかパニくって、カメラのシャッター触ってしまいの図。

こんなんだからほんと「捨てるものがない相手」と格闘なんで無理ですっての。
そう言う意味でも廃屋探索って単身ではなく、2人以上で行うべきで
廃道や、配線探索より敷居が高いのを肌身で感じました。
(つかナメてるので靴が普段履きだったり。笑)

以上でレポを終わります。