今日は猫が轢かれてるのを続け様に2匹みました…1匹轢かれてるのを見ると
なぜか、その日のウチに、もう1匹轢かれてるのを良くみる…時期的な何かがあるのかもしれない…
なぜか、その日のウチに、もう1匹轢かれてるのを良くみる…時期的な何かがあるのかもしれない…
そんな悲しい事を、話題にするのは少々問題あり…ですが、十数年前の嫌な記憶が甦ってきた。
当時はwedなんかなかったから「そう思っても何も出来なかった」けど、今なら手軽に情報発信出来る。
なので書いておこう。
当時はwedなんかなかったから「そう思っても何も出来なかった」けど、今なら手軽に情報発信出来る。
なので書いておこう。
当時私は車をイジる金が欲しくて「運転代行」のアルバイトをしてました。
色々な車を運転出来る上に、お金まで貰えるんだから、これは願ったり適ったりでした。
色々な車を運転出来る上に、お金まで貰えるんだから、これは願ったり適ったりでした。
そんな毎日だから「常連さん」の事も覚えますよね?や、顔じゃなく車で覚るんですが…
そんなお客さんの中に「動物病院の先生(つまり獣医)」が居たんですが
そんなお客さんの中に「動物病院の先生(つまり獣医)」が居たんですが
その日も、その獣医は自分の病院に車をそのままで町へ繰り出し
そして代行を呼んだ…ので「自分の病院に車がある」との事で、そこに行き、そこから車で
その獣医宅へ(今でも大体の場所は覚えています。)
そして代行を呼んだ…ので「自分の病院に車がある」との事で、そこに行き、そこから車で
その獣医宅へ(今でも大体の場所は覚えています。)
その道中は町から離れて、田んぼの中を一直線に走る道もあるんですが
そこで急に草むらから「猫が飛び出してきた」んですよ。
そこで急に草むらから「猫が飛び出してきた」んですよ。
当然、急ブレーキを踏んだので(それでも客が転げ落ちない程度)衝撃が加わるもんですが
その獣医は「何をヤってんだ!!」と怒鳴りだした。
その獣医は「何をヤってんだ!!」と怒鳴りだした。
猫を指さして「轢く所でした。すみません」といったら
返って来た言葉が『そんなモン轢き殺しちまえ!』…
私は耳を疑いました。それゃ「そう言う人」も居るから、それを言った事にドウコウってんじゃない
酒が入ると「気持ちが大きくなる」のも十分分かる。
酒が入ると「気持ちが大きくなる」のも十分分かる。
でもこいつは猟師じゃない「動物病院の院長、獣医」ですよ。
酒は気持ちが大きくなると共に「本音」が出やすくもなります。
私は、それ以降、その病院に掛かってるであろう客を見ると気の毒でならない。
私の友人、知人、身内には、この話を話て「命が惜しいなら、あそこにだけは掛かるな」と言ってます。
私の友人、知人、身内には、この話を話て「命が惜しいなら、あそこにだけは掛かるな」と言ってます。
やはり「自分の仕事を明かしてる(そこまで車を取りに行った&先輩は、そこの獣医だって知ってる位常連)」
なのに、言っていい事と悪い事がある。
なのに、言っていい事と悪い事がある。
我が家では放し飼いにはしてないが「うちでも猫を飼ってる(た?かな当時の猫は寿命をマットウした。)」から
この言葉を聞いて凄く不快だった。凄く所じゃなかった数日気分が悪かった。
今でも時々思い出して気分がこうして悪くなってる。
今でも時々思い出して気分がこうして悪くなってる。
それゃ~連日仕事に追われてれば、仕事で常に扱ってる様な者、物を
「仕事が終わってまで見たくない」ってホンネは分かる。特に忙しければ…尚の事。
(だから最初は地図付きで晒してやろうか?と思ったけど、それは辞めておく。)
「仕事が終わってまで見たくない」ってホンネは分かる。特に忙しければ…尚の事。
(だから最初は地図付きで晒してやろうか?と思ったけど、それは辞めておく。)
でも「物」と「生物」は違うし、ましてソレを救う立場の人間
普通は、どんな事があっても口にしない言葉なのではないだろうか?
普通は、どんな事があっても口にしない言葉なのではないだろうか?
幾らシラフの時には理性で取り繕っていても「ホンネ本質」は
動物の命なんぞ、自分の車を停めてまで救う価値もない…と腹の中で思いながら仕事してる訳だコイツは…
動物の命なんぞ、自分の車を停めてまで救う価値もない…と腹の中で思いながら仕事してる訳だコイツは…
まったく「ヘドが出る」奴です。
もうちょっと自分の立場を考えるか?いい加減いい年なんだから酒の飲み方覚えて欲しいとも思うが、
あの歳では無理だろうな。
(現在の私よりも当時で年上だった)
あの歳では無理だろうな。
(現在の私よりも当時で年上だった)