ミクシィ疲れ…と言うワード

ちょっと検索してた時に「ミクシイ」と入れたら、
その後に疲れ…と言う言葉が付いてきたので、そのまま検索してみる。
 
TOPにHitした記事を引用させて頂くが内容は、こんなもんです。

<引用1>
ミクシィ疲れ・・・
mixiでのことなんですけど・・・

ミクシィで私がAさんに『最近どうしてるの?また遊びたいね!』ってメッセをおくりました。

が、、ログインして、他の人の日記にはコメント残しているのに、
私のメッセは無視・・・。
その上、私の日記を見るだけみて、足跡残していきます。。。

なんか、嫌な気分ですね。

私は結婚していてAさんは独身だから、
日記のコメントしにくいのはわかるけど、
他の友達は子供いるのにコメントしてるし・・・汗


なんか、ミクシィに疲れました。
日記にコメントが付かないだけで不安になってしまうわ。。
わたし、Aさんに何かわるいことしたのかな?
</引用終わり>

 <引用2>
mixi日記は、ユーザーによっては、一度書き始めると止められなくなってしまう。
日記へのコメント機能やアクセス履歴を表示する「あしあと」機能が、
ユーザーに「快感」を引き起こさせるためと、山崎さんは説明する。

自分の日記にあしあとやコメントが付くと、
周囲から認められたという「認知欲求」、自分を受け入れて欲しいという「親和欲求」が満たされ、それが快感になるという。
 
好意を持っていたり、尊敬している相手からあしあとやコメントが付くと、
さらに高い快感が得られるため、快感を求めて日記を更新し続けるという“中毒”症状につながる。

加えて「好意の返報性」も働く。
人から受けた好意に対して同じだけの好意を“お返し”し、心のバランスを保とうとする作用で、
]mixi上では、自分のページにあしあとをつけたり、日記にコメントをつけてくれた人に対して、
あしあとやコメントを返そうとする行為として現れる。
 
これによって相手にも好意の返報性が働き、
自分の日記にコメントやあしあとが付きやすくなるため、応酬がエスカレートしていく。

つまり「コメント欲しさに日記を書く」→「コメントが付いて嬉しくなる」→「コメントをくれた人の日記にもコメントを返す」→「自分の日記へのコメントが途絶えると、コメント欲しさに新たに日記を書く」──
というサイクルが際限なく続くのが“mixi日記中毒”の正体と言える。

マイミクは「社章のようなもの」
 友人同士をリンクで結ぶ機能「マイミクシィ」(マイミク)が、この応酬をさらにヒートアップさせる。
ユーザーは、別のユーザーにリンク申請して承認されると、
自分の「マイミクシィ一覧」上に相手が表示される。マイミクはいわば、友人である証だ。

山崎さんは「マイミクは、社章のようなもの」と言う。
社章を付けた人は、その会社の社員であることを強く意識し、
社員としてのふるまいを強化する傾向があると考えられている。
 
A社の社章を付けた人は、より「A社の社員らしくふるまおう」と意識するといい
社会心理学で言う「役割効果」が発揮される。

マイミクも役割効果を持っているという。
マイミク登録・承認することにより、「私はこの人とマイミク(=友人)なのだから、
友人らしい振る舞いをしなくては」と意識するためだ。

mixi上では、あしあとを付けたり、日記にコメントすることが友人らしいふるまいとなる。
少数のマイミクだけと付き合っている間は問題ないが、
見知らぬ人や1度きりしか会ったことがない人など「にわか友達」をマイミクに加え始め、
全員のページにあしあとやコメントを付ける――という作業を繰り返していると、だんだん無理が出てくる。

見知らぬ多数のマイミクと親しく振る舞おうとする努力は、飲食店店員の笑顔のようなものという。
当初は、少ない客に対して心からの笑顔を見せていた店員も、
客が増えて忙しくなるにつれ、笑顔が義務化し、笑顔を作ることに疲れ、ストレスをためてしまう。
 
関係が薄いマイミクにあしあとを付け、コメントを付けては疲れるという“mixi疲れ”の症状も同じ構造だ。

mixi疲れ”から抜け出すには 「mixiは、使う目的を意識して利用して」と山崎さん
 mixi疲れから脱却するためにはどうすればいいのだろうか。
山崎さんは、
(1)mixiは土日だけしか使わない、といった自主規制ルールを決める、
(2)マイミクの数を整理する、
(3)会ったことがないマイミクと会う機会を作り、自分と合う人か見極める
――といった解決策を提案。最終的には、ユーザーの精神的な自立が必要と説く。

とはいえmixiは、職場や近所などリアルなコミュニティーの付き合いが希薄となった現代で、
その枠を超えた“社交”を可能にし、日々のストレスをいやしてくれるツール。
その意味では「国民栄誉賞もの」と山崎さんは評価する。

mixiをコミュニケーションツールとして気持ちよく使うためには、依存からの脱却は不可欠だ。
米国で9000万ユーザーを集めるSNSMySpace」では、SNS依存についての議論が始まっているという。
日本でも、真剣に考えるべき時が来ているのかもしれない。
</引用終わり>

 
なるほどねぇ…
ミクシは3g2動画変換に便利なので使ってる程度ですが(そのままyoutugeにupすると短くなる)
でもね。分かる。笑 あれっすよ「みんカラ」苦笑
 
自分が、他人にどう思われてるか?気にしないったらウソにはなるかもだし、
そもそも日本人は、そこを重視する民族だから、私も日本人である以上は、そう言う部分がある…だろうけど
 
どっちか?って言えば、「自分がどう」より「他所に気を使わせてないか?」が気になる。
 
この文章でいえば「この女性の様に相手が思ってないか?」に凄く気を使う。
 
私は、相手様のブログには「コメントしたいから書く」だけで、
「自分の所にも書いて欲しい」とか「しばらくコノ方には書いてないから書かなきゃ」なんて裏は全然ない。苦笑
 
でも「自分が書く事によっていろんな意味で相手に気を使わせてないかな?」なんては考えるから
んじゃメールにしょうかな?とか思うと
 
「自分を特別視しろ」とか「メールだから速攻で返事しろ」とか感じられるのも嫌だし…
 
なんとも面倒なんですよね。結局中身は、この女性と同じかも…ですが。
 
ま、ここで好き放題書けるだけ、私はまだいいかも知れない…。笑