八茎鉱山の今(2010)

私のホームページに、ここ(yahooBLOG)で知り合った方から初のコンタクトがあった。
コメントを常に?OFfにしてるわ、横の繋がりを広げようとともしないわ‥の、この場所では大変珍しい。
 
そんなこんなで、掲示板で返信した約束に答えようかと思います。
 
彼の質問は(失礼ながら引用して頂くとして)
>八茎鉱山跡に廃墟等は残っているのでしょうか?
>ご存知でしたら教えてください。
 
ここで1つの疑問が‥あれっ?跡って、確かまだ動いてるんじゃなかろうか?と思った。
閉山したあと「再開」した話を聞いて、その後ジムニーで林道探索で幾度となく通ったが
でも、それも10年前の話‥う~ん。って事で"現場"を見に行く事に…
 
まずは八茎(ヤグキ)への道を延々を進むと、突然視界が開けて見えるのが、この景色。
イメージ 1
すみません‥あの「アブ(虻)」が怖くて車内からの撮影です。笑
この時期「探索系」をしないのは、「虻」「八」「山蛭」が理由。(草負けには強いです。笑)
 
ここに鉱山施設があると思わず夜に初めて行った時には、「不気味さ」でビビリました。
(お化けとか霊験とか、全く無いです‥私)
 
まぁ「パズー」の様な事は無理かと‥
イメージ 2
なんか以前と違って門が閉まってますね。(時間17時頃)
勤務時間が終わったからって早々に門を閉めないだろうし、どうも違う雰囲気。
 
さ、余計な事を言わず、後は複数枚の画像を見て頂くとしましょうかね。
イメージ 3
イメージ 4※ここは道路であり敷地内ではありません。無断立ち入りは危険です。ってか入る雰囲気でもない。
イメージ 5
イメージ 6
イメージ 7
看板を良くみると「休山」とか「処分場」って文字が見て取れる様に「活きた鉱山」ではない模様。
 
こんな様子でした。以前は手前山斜面に、他の施設があった様な気もしますが‥
勘違いか?取り壊された模様です。
 
で、上に書いた夜間は不気味だった‥頃は、実は外見が、もっとボロボロでした。
この画像を見る限り外壁の塗装だか、屋根の塗装は、新たに施された物だと思います。
(以前は屋根がオレンジ色ではなかった)
 
昭和40年代まで市内の山は、とにかく山に入れば鉱山があるって位、「炭鉱で栄えた土地」ですが
施設が今でも残ってるのは考えたらココだけかも、これはこれで鉱山を今に伝える物になってますね。
 
ここが残った訳は、他は「石炭」だからであり、ここは「石灰」だったかな?
その為、昭和58年頃までは、継続して現役で、炭鉱鉄道も残ってました。
 
祖母と、この炭鉱の麓の「玉山温泉」に来た際に,その線路や踏み切りに興味津々だった記憶があります。
(祖母の出身が、この土地(平市街)で夏休みには度々北海道からの里帰りに付き合った。)
 
さて‥掲示板の返信で私が書いた内容の文末の部分。
 
1つ注意点があって、行く時は大したカーブではないんですが
右巻き(行く時)のカーブの帰り‥気を付けないと腹がヤバイ所があります。

一見何の変哲もない所ですが、機能上問題ない場所ですが、思いっきり腹を擦りました。
(現在の車では初で、それ以降もないです。)
  
 
↑これに訂正があります。
実は、そのカーブは「擦った!」と車を止めた箇所であり、実際の注意すべき箇所は違いました。
 
その画像を公開。(^^;
イメージ 8
この通り、一見何の変哲もない箇所ですが、妙に車のクリアランス(エンジン縦メンバー)との相性がいいらしく
速度が普通のペース(決してバカ飛ばし速度じゃない)だと、思いっきり擦ります。
 
イメージ 9
今回分かってるから徐行して行ったんですが、
それでも「腹下」から小石が当る「パラパラ~」だか「カラカラ~」って音がしました。(^^;