福島市の、かなり怖い地下道

以前、通行した際に「ここは、かなり怖い」と感じた場所ですが動画を録るまでに数年要しました。
怖い=化け物系ではなく「運転が怖い」です。悪しからず(^^;

実は、この動画も、危なくお蔵入りする所でした。
この動画を撮影した日は免許の更新で福島市(庭坂)へ行った後なんですが
実は、その運転免許センターで、私の車が「当て逃げ」されてました。

それに気付いたのは福島市を去る直前(高速に乗る前)のコンビニでしたので
良くも悪くも「ここに行って」ました。
もし駐車場で気付いてたら‥落ち込んで直帰してたでしょうね。

さて、場所はココになります。

詳しい地図で見る
早速、動画を見て頂いた方が話は早いのでご覧ください。

地下道の長さも然る事ながら、途中から「罠」の様に道が狭くなっています。

ここ‥一方通行ではないらしいのですが、両側がら車が入ってしまった場合

広い場所でも離合可能なもんだろうか?

ただ、背の高い車は当然入れないのでイマドキの幅が広く背の高いミニバンは通れない?ので

皆避けて通ってるのかもしれませんから交通量は少ないかもしれません。
(地元ではないので憶測ばかりです。すみません)

なぜ、こんな中間に絞込みが入ってるのか?

それは、この上を通るJR東北本線の歴史を見ると「何となく分かって」きます。

近くにある東福島駅の歴史ですが‥
1923年(大正12年)10月15日 - 国有鉄道東北本線瀬上駅(せのうええき)として開業。旅客営業のみ。
1978年(昭和53年)
6月1日 - 東福島駅に改称。
6月24日 - コンテナ貨物の取扱を開始(福島駅から移管)。
この道路の上を通る沢山の線路は、貨物駅の側線です。
東北本線の「本線」(わかりづらいなぁ)は複線ですから2本だけ。

貨物側線は福島駅から貨物の側線(操車場と呼んでいいのかな?)を昭和53年になって移した訳です。
つまり幅の狭い場所は「東北本線開業以来の本来東北本線が通ってた位置」であり
その前後の長い地下道は、後になってから操車場を作るのに付け足された部分。
時代も昭和の50年代に入り車社会を考え幅も広く取った‥と考えられます。

昭和51年頃の貨物駅建設中の頃の航空写真。
イメージ 1
なるほど‥やっぱ「そんな理由」ぽいですね。

しっかしセシウム半減期30年って言葉は簡単ですが
この画像が撮影されたのが1976年、現在が2011年から遡り35年です。
今から30年前と言えば昭和56年 私は小学生でした。携帯もネットも無い時代です。
小学生が中年になってます。そんな時が30年‥30年で全部なくなるわけでもない‥
どうすんだよコレ‥って感じです。っと、ついつい「そっち系」を書いてしまう事お許しください。