◇農業県で周囲に気兼ね 弁当持参には学校難色
「地産地消」が推進され、昨年度は給食食材の36%、コメは100%を県内産でまかなった福島県。しかし、多くの自治体には放射線の検査機器がない。また農作物の産地でもあるだけに、保護者は表だって不安を口にできずに苦しんでいる。
栃木県に近い白河市。学校給食センターの菊池富雄所長によると、生鮮品は地元産がほとんどだ。「キュウリやトマト、インゲンは市内でとれたもの。果樹栽培も盛んでデザートも近隣農家から調達する。これからはリンゴが人気です」
センターでは2学期から、放射性物質の測定を始めた。1日8食材が限界だが、野菜や肉、卵などを前日に調達し「シンチレーション検出器」にかける。
市教委によると、測定器購入後は給食を拒否する児童が十数人から5人に減った。菊池所長は「保護者が心配するのは、子供の口に入るものが安全かどうか。結果を開示すれば福島産でも納得してもらえる」と解説する。長女(9)が市立小に通う小松直美さん(39)は「店で売られているのは国の規制値以下。今は給食の方が信頼できる」と話す。
いわき市は「流通しているものは基本的に安全」としながらも、農林水産省や県のホームページで農作物の検査結果や出荷制限情報を毎日チェック。購入の前日までに産地情報を入手し、不安が残る食材が紛れ込まないようにしている。
保護者からは「北海道や西日本の食材を使ってほしい」という声が寄せられる。いわき市平(たいら)南部学校給食共同調理場は、市から送られるデータを見て、同じ数値なら遠方から取り寄せるという。新妻正典所長は「福島産が怖いというわけではない。風評被害につながりそうで、心に引っかかるが……」と苦悩する。市内の別の共同調理場所長も「福島産が給食への不安につながるなんて、やるせない」と打ち明ける。
福島市や郡山市は、昨年までの地産地消は「とても推進できない」(教育委員会)状況だという。産地情報だけで決めない方針を貫き、国の規制値以下の食品は使用可能とし、各校の判断に任せている。多くの自治体に加工食品を納入する「福島県学校給食会」は、小松菜やブロッコリーを一部九州産に切り替えた。
◇ ◇
給食を敬遠する保護者の多くが、何らかの圧力にさらされている。いわき市の千葉由美さん(42)は5月から小3の娘に毎日、弁当を持たせている。教室では1人だけ。校長から電話で「なぜ給食を食べないのか」と問われ、「給食も教育の一環。みんなで同じものを食べることに意義がある」と説明された。食材の産地公表を求めたが応じてもらえなかった。
「弁当にこだわるのは、食の安全を守りたい気持ちが半分。あとは、周囲に気兼ねして声を上げられないお母さんを代弁するため。子供が何を食べているのか知りたい親の気持ちは、間違っていますか?」
いわき市内の小学生(7)の母親(39)は、同居する夫の両親が農家で、近所も農家が多い。給食への不安は声にできない。「被ばくした福島の子に(他県と同じ)国の基準をあてはめないでほしい」と願う。学校に弁当を持たせたいと頼んだが、理由を書いた文書を提出したうえで校長が許可するといわれあきらめた。「校長の考え方一つで子供の安全が決まるなんて」と嘆いた。
小6と小4の子を持つ二本松市の母親(36)は心配なことがあるという。「学校で牛乳を飲まない子が『非県民』とからかわれたと聞く。放射能への自衛策を非難する雰囲気があるのなら、残念だ」。大人の混乱が子供たちにも伝わっている。
◇ ◇
どこまで調べ、どう保護者に伝えるのか。自治体や学校で対応は異なり、親は翻弄(ほんろう)されるばかりだ。
郡山市のある小学校では、校内放送で毎日、野菜の産地が公表される。「不検出の野菜しか使わない、と校長が丁寧に説明してくれて安心している」とある母親(42)。一方、須賀川市の母親(43)は「学校は『安心してください』としか言わない。弁当は子供が嫌がるのであきらめた」とうんざりした様子だ。
「子供の安全に関わることが、自治体の知恵比べでいいのだろうか」。ある市教委の担当者は漏らした。文部科学省学校健康教育課は「弁当を持参するかどうかは自由。産地などの情報提供は適切に行うよう各教委に伝えている」と話すが、最終的には現場の判断に委ねられているのが実情だ。</引用終わり>
携帯で読まれた方が居たとしたら長くてすみません。
学校給食が始まる‥と聞いた時から、私は「これ」を危惧してまいました。
で‥やっぱり「起きてる」って事。
こんな脳足らずな私でも思いつく様な事を、なぜ「その道のエリート」共が気付けないのか?
や、気付けないんじゃない「気付いてるけどヤってる」と思った方が無難だろう。
この記事に対しての反応をしてる所で読んだ文章に、こんなのがあった。
「1人だけ飲まない子だけ異常が出なかったら、それが困るだろう」
なるほど、的を得てる。
こないだ、ある老夫婦の家へ仕事に行った。
とてもイイご夫婦で気も合い、話が弾んだんだが‥
その中で老夫婦の婦人の方が「私は小学6年の時に終戦を迎えた」との話を聞いた。
当時、小学生とは名ばかりで、学業よりも学徒動員で工場で働き
読み書きもまなならないままでの卒業だったとの事。
ある日、憲兵が突然飼っていた犬を連れて行き、その後帰って来る事は無かった話。
戦争は終わったが、今度は、その後が大変だったとの事等、色々聞いた。
(うちにも祖母は居たが格好付けなのか?そう言う面は話したがらなかった)
私は「こんな事を聞くのは大変申し訳ないのですが「生」の戦争を知らない若輩故の質問、お許し下さい」と
先に申し上げた上で
「その戦争~終戦の頃と、今の日本、どっちがマシですか?」と‥聞いてみました。
突然の変な質問にも笑顔で婦人は
「あの時も今も同じ、戦況なんて悪化の一歩で勝つ見込みなんかないのに政府に騙されたけど
今も何も変わってない」との答え。
その後「でも付け加えれば、この辺りは(つまり広島と長崎ではないと言う意味)終われば
後は前に進むだけだったけれど、今は、この後何十年。私なんか、あの世に行った後も
若い人達は、苦しんで行く事になる‥それを考えたら‥どうなんだろうねぇ」と答えてくれた。
そして「文字の読み書きが出来ないまま小学校を出た」と仰る婦人に
仕事上、最後に伝票にサインを貰うのだけど、物凄く綺麗な字で驚いた。
きっと勉強したくても出来なかった反動で、その後中学で猛勉強したんだろうな‥と思いました。
そう、この世代(団塊前)の世代の人って、物凄く苦労してるから、何か人間の出来が違うんですよね。
もう残り少なくなってしまってますが‥
この人たちが日本から消えた時‥本当に日本は、どうなってしまうのだろうか?
話が逸れてしまいましたが‥
福島県から来た子供だ!と他県に行けば差別され
県内では非県民と差別され‥
疎開先ではイジメられ、戦争批判すれば非国民扱い
こう言う悪い面は日本は全然変わってない。悲しい事だ。