広野駅 (福島県双葉郡広野町/常磐線)

先日、隣の末続駅の模様とか、JR水戸支社の労働組合の話等を取り上げましたが

肝心の広野駅については、まだ行ってないので触れずにおいておきました。

仕事上でも行く事になるかも知れない広野町の「今」を知りたくて、今日は休みなので再訪してみました。
(以前は国道から山側へ向かい浜側の町や駅には行かなかった。)

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右側のタクシーの右側のが駅舎です。

以前はキヨスクがあったと思うんだけど、5年位前には無くなってました。

以前来た時は当然タクシーも居なかったので、まさに「立ち入れる死の街」でしたが

駅が開き、タクシーが居るだけで、生き返ったかの様にみえます。

‥が、申し訳ないのですが、そう思えるのは「駅前広場」のみ‥でして

その周辺の商店街は多くが閉まったまま‥家屋の庭には雑草が生い茂っており

家主が3月から不在な感じの家が多いのが、相変わらずなのが分かります。

じゃ「タクシーの需要なんかないんじゃ?」と、お思いでしょう。

元々「車社会の田舎」ですから、タクシーの利用者は少ないです。

多分ですが、広野が「広野火力」「福島第二原発」「福島第一原発」の、復旧修繕の最前基地になっており

下手したら「住民よりも発電所関連の人間の方が数倍居るんじゃないか?」なんて状況になってます。

あの手前の末続駅(無人駅)の近くの、ラーメン店の大きな駐車場の話は以前書きましたが

あの駐車場に「タコ部屋」みたいなのが出来ています。

つまり常磐線の久ノ浜~広野の復旧は「発電所関連の作業員」を運ぶためだった気がしてきました。

だって広野町自体、まだ学校も再開されてません。

働き盛りの世代(つまり子供が居る世帯)は、殆ど戻ってきてないんじゃないかと思います。

ですから田舎でよくありがちな「学生と老人の為の鉄道」と言う意味で考えても「学生需要」の存在が無い。

さて‥前置きが長くなりました。駅構内の画像です。
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元々の1番線は使われておらずホームも震災前のままです。
ホームに残ってる「スーパーひたち」の文字が悲しいな‥

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この様に「元の2番線」の線路に停まる列車を
跨線橋を使わないで乗り降りさせる為に仮説ホームが作られています。
少なくとも、この仮設ホームは線量が低いでしょうね。(半分嫌味)

ど~にも反対側の常磐線の終点(亘理でしたっけ?)と雰囲気が似ています。
駅の中には入りませんでしたが、どうにも同じであるなら、これより北側の
「木戸」から先の料金表やら路線名が消されてる可能性が‥
http://art60.photozou.jp/pub/932/224932/photo/92408790_org.v1318203644.jpg
とりあえず今度は電車で来てみたいと思います。

上の削除線の文についての追記です。運転再開当日の画像がありました。
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画像手前が北側(常磐線木戸駅) 奥側は南側(常磐線末続駅)です。
亘理の様に隣の「浜吉田」が消されておらず、ちゃんと「木戸」文字が残っています。

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運賃表も然り‥

<引用開始>
いわき市仮設住宅から、震災で全壊した自宅を見に来た無職、佐藤義一さん(75)は「これまでは娘の車や代行バスで自宅まで来ていた。娘にばかり負担をかけられないので、これからは電車を利用したい」と話す。
再開区間の第1便の利用客はまばらだったものの、視察に訪れた黒田耕喜・広野町副町長(59)は「今後のライフラインの整備や除染作業が進みやすくなる」と期待をかける。黒田副町長によると、震災前の全町民約5500人に対し、現在町内に戻っているのは300~400人。学生や若年層はほとんどがいわき市内の仮設住宅や県外にいるという。
JR東日本によると、広野駅では、発着する列車の本数を震災前の上下39本から半分以下の17本に減らして運行再開。主な利用者だったいわき市内の高校に通う生徒たちも町外にいるため、当分は利用者は多くないとみられるが「避難先から自宅に通う人たちの公共の足として必要」と話す。
広野町のタクシー会社に勤める男性運転手(65)は「鉄道の運行が再開すれば町外に避難中の住民が帰宅する機会も多くなり、タクシーの利用客も増えるのでは」と話す。
このタクシー会社は同町の準備区域指定後も営業を続けたが、震災前に比べて売り上げは半減状態が続く。「7、8人いた同僚のうち2、3人が既に辞めた。残りは少ない仕事を分け合ってどうにか暮らしている」といい、人の流れが戻ることに期待をかける。
「これまでは静か過ぎて生活感がなかった。踏切の『チンチン』という音は復興の象徴と言えるのでは」。再開区間内にある末続駅いわき市)沿線に住む無職、四条甫さん(70)は鉄道を利用する機会は少ないが、何十年も聞き慣れた踏切の音を待ちわびていた。
常磐線東日本大震災による津波などで橋桁や駅舎が流出するなど約800カ所で大きな被害を受けた。今回運行を再開した久ノ浜―広野間は損壊などの被害は比較的小さかったが、広野駅周辺が準備区域に含まれていたため、運行再開を見合わせていた。
広野より先は警戒区域に含まれるうえ、津波の被害の大きかった駒ケ嶺(福島)―浜吉田(宮城)間の一部は路線を内陸に移す方針は決まったものの、用地買収の問題などもあり、運行再開のメドはたっていない。
</引用終わり>

ん~確かに‥震災後の鉄道再開の時は嬉しかったですね。
普段「生活」としては乗りませんが、元々好きなのを抜いても「日常」が戻ってきたみたいで嬉しかった。

一方、先日の鉄道会社の組合の話の通り、運営に当る側には様々な問題もあった。
↑これもね。再開するなら「国」や「県」が除染するなり、費用を早急にJRに支払いするべきだった。
それが抜けてたから、あんなトラブルになったんじゃないかな?