以前海から100m前後の所に住み、そして現在に至るまで色々な意味で影響を受けまくったのは海です。
今回の元凶を簡単に言ってしまうと「海」なのかもしれませんが‥
それでも幼い頃(北海道に居た頃から)海の近くに住んでた私は「海を嫌いにはなれません」
って事で今年の総括をすべく(大袈裟かな。)
市内の海の近くの道をダラダラと一筆書きルートでドライブする事にしました。(いわき市末続を除く)
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101181850.jpg)
出来る限り、思いつく限りの主要道での海沿いです。
まず前日掲載した「震災前の画像」との比較を交えて紹介いたします。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101181930.jpg)
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101181950.jpg)
1度、実際に現場を生で見れば、まぁ分かります。説明が面倒なので分かる人のみで‥
震災が無かったにしろ、この波立海岸は海の浸食が進んではいましたが‥
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101181940.jpg)
画像を撮影した時間は「干潮になって行く最中」で、潮が引き始めてます。
http://www.data.kishou.go.jp/db/tide/suisan/suisan.php?stn=ON
今日の干潮14:21 満潮8:11分(小名浜) 撮影時間12:40
ここは小名浜から北なので、もう少し時間が早いです。(相馬港で10分早い)
満潮になれば砂浜の筋が付いてる位置まで海水が満ちます‥そうなったら海岸が無いですよね?
震災前の砂浜を見ると川の水が削った筋が鮮明ですが、そこまでは海水が来ないので鮮明な訳です。
画像を良く見ると、海面が下がってるのが良く分かります。
そんな中、薬師堂では、明日の「初日の出」を見に来る人を当て込んで出店が準備中でした。
![イメージ 5](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101182000.jpg)
この画像は震災前の物です。海岸で焚き火をしてるのは「元旦寒中水泳」をする人たち用の物です。
![イメージ 6](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101182010.jpg)
さて‥場所を移して今回の津波での被害規模(範囲、損壊度合い、面積)で
市内で1番変わり果ててしまった被害だった地区である「薄磯」「豊間」に車を進めます。
どこが「1番被害が大きかった」って表現‥は好きではありませんから控えます。
とにかく津波で「自分の家屋が流される」って事は
住んでた1人1人的には世帯数や流出面積規模の問題じゃないですからね。
ルート概略はコレです。
いわき市内住みの方なら「わざわざ見る事もない」と思いがち‥ですが
是非先に見てください。(かなり詳細にルートを記載しています。)
何故って‥確かに写ってるモンが津波前の物ならともかく‥や津波直後の瓦礫でも
動画を見て場所が分かるって意味ならともかく、更地になってしまい‥
![イメージ 7](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101182020.jpg)
一体何処なんだ?ここは‥ってのが分かり辛いと思うんですよね。
動画再生前に「予めお詫び」かなりカーステ煩いです。ってか、この位しないと
見てるだけで寂しく悲しい光景なんですよ。元の街を知ってる人間しか、この気持ちは分からないかもですが‥
震災後の、まだ瓦礫だらけ‥の夏前の頃にも仕事で何度か行きましたが(行くのは1度でイイです。)
今回の様な「瓦礫すらなくなってしまった」姿は初めてみました。
これは住んでた方には申し訳ないのですが、
津波で壊れた家、流された車があった頃の方が、まだそこに「生活があった証」があった気がしました。
![イメージ 9](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101182040.jpg)
音楽をガンガン掛けてますが正直言葉を失いました。
元の姿を知らずに、この動画を見た方に説明として震災前の町並みを‥
![イメージ 8](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101182030.jpg)
本来なら坂を下りると町が広がり、右に市営住宅、銀行、水産加工工場、古い町並みが続き
それに遮られ塩屋の岬が見える訳もない場所でした‥ってか見えるのを今日初めて知りました。
さて時間も23時52分と、残り少なくなってきたので最後の報告。
![イメージ 10](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101182050.jpg)
![イメージ 11](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101181900.jpg)
![イメージ 12](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101181910.jpg)
![イメージ 13](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101181920.jpg)
西田さんが立ってる後に、チラッと写ってるテトラは1番出っ張ってる位置のですから
西田さんの位置は海の中になります。
時間はすでに14時頃になり、いよいよ干潮の時間なのに、全く砂浜が現れてくれません。
以前は当然ですが、砂浜を歩って出っ張りの向うまで行けたんですけどね。