大井川

この前、東海道本線での在来線車両の高速実験の話を書いた際に、動画を掲載しましたが…
その東海道本線の「金谷」駅から東に向かった所で鉄道トラス橋を渡ります。

その橋を渡った後から東海道本線は直線なのですが、
そのルートを追うに辺りまず最初は大井川が出てきます。

随分と川幅がある割りに白ぽいですよね。なんか普通じゃない。
そういえば太井川鉄道はSLで有名で太井川沿いにルートを進むのですが…
こんな荒涼とした川の画像を以前も見た記憶があります。

普通じゃない…これはあくまで「海側住み」の感覚であり、上流なんかでは「珍しくもない」場合もありますが

この辺りは海に近い土地です。下流で、この流量なら、もっと川幅が狭くてもいいはず…
って事で「大井川」って特殊なのかな?と思って検索してみたら「驚きの事実」が…

<引用開始>
以下長いです。出来れば元ページの方が読み易いです。(^^;
元⇒http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BA%95%E5%B7%9D

大井川・再生への苦難
前述のように大井川は水力発電や灌漑による高度な水利用が実施され、流域のみならず流域外の県内、さらには他県へも大きな貢献をしている。だが、その代償として大きな問題と成ったのが大井川の流水減少・流水途絶である。


無残な大井川
1960年代までに大井川水系は大井川本川上流より田代・畑薙第一・畑薙第二・井川・奥泉・大井川・塩郷といったダム・小堰堤が連なり、支流には千頭・大間・寸又川(寸又川)、笹間川(笹間川)、境川境川)の各ダムが建設され、これらのダムや小堰堤より発電用の水が一斉に取水される。さらに下流では大井川用水に利用するため川口発電所で放水された水が再度取水されて各所に供給される。こうした多数の箇所からの取水によってかつて豊富な水量を誇った大井川の水は山中を通る送水管に大部分の水が流れ、大井川に直接放流される水は極端に少なくなった。このため次第に弊害が現れた。

問題が表面化したのは1961年の塩郷ダム完成からである。塩郷ダムで大井川の流水がことごとく取水されることにより、ダムより下流の大井川は全く流水が途絶した。この付近は「鵜山の七曲り」と呼ばれた景勝地であり、水量が豊富な際は豪快な風景が楽しめたが塩郷ダム建設以後は全く水が流れなくなった。しかもダムより下流20km区間が全くの無水区間となって、漁業を始めとする河川生態系に深刻なダメージを与えた。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と謳われ、往時は平均水深76cmあったといわれる大井川の面影は全く無くなり、あるのは延々と続く「賽の河原」であった。川原からは風が吹くと砂が舞い上がって家の窓から吹き込み、人々はこれを「川原砂漠」と呼んだ。また、生態系の変化により茶の害虫が増加し、砂が上流から運ばれなくなったことによる海岸線の侵食などの被害が生じた。この惨状に流域住民は「大井川の清流を元に戻せ」と声高に訴えるようになった。大井川の「水返せ運動」の始まりである。

1975年(昭和50年)大井川の発電用水利権が期限更新となった。この時河川管理者である静岡県は塩郷ダムを管理する中部電力、田代ダムを管理する東京電力に対し、大井川の無水区間を解消するために毎秒2トンの水利権を返還するように両電力会社に要求、交渉を行った。だが中部電力東京電力の両者は静岡県の水利権返還要求を拒絶した。電力会社の立場からすれば、水力発電所における水はまさに生命線であり、水量を減少させることは発電能力を減衰させることに繋がり、それは単純に営業利益の減少に直結するため、当然承諾できる要求ではなかったのである。

住民の反発と中電の対応
1976年(昭和51年)に塩郷ダムより暫定的な放流が実施されてはいたが、結局これ以降も無水区間の解消には至らず、当時計画中であった長島ダムの事業進捗にも影響を及ぼした。長島ダムは多目的ダムであり、河川維持放流を行うことは目的の一つであるため本来は河川環境の改善にプラスに働くのであるが、ダムに対する不信に凝り固まった地元住民は長島ダムにも反対の姿勢を見せた。そして頑なに水利権返還を拒否する電力会社に対する不満が次第に表面化していった。

そして塩郷ダムの次回水利権更新である1986年(昭和61年)が近づくに連れ、住民の「水返せ運動」は次第に熱を帯びていく。本川根町中川根町川根町の3町(当時)で作る川根地域振興協議会は静岡県に対し「大井川流域保全に関する陳情書」を提出し、水利権更新時の大井川無水区間解消を強く要望した。3町の住民は水利権返還を拒絶する中部電力に対して圧力を掛けるため1987年(昭和62年)1月に「大井川環境改善決起大会」を開催、800名の住民が参加し悲願達成を誓った。さらに3月には350人の住民が水の全く無い塩郷ダム直下流に集結し、「水」の人文字を作って中部電力に対し強硬な意思表示を行った。

当時の静岡県知事・斉藤滋与史はこうした住民の直接行動を受け中部電力に水利権の一部返還を迫った。中部電力も住民との対立は企業イメージへの深刻な打撃を与えることを危惧し、4月に塩郷ダムより毎秒3トン、大井川ダムより毎秒1トン、寸又川のダム群より毎秒0.6~0.7トンの河川維持放流を行うことを表明、大井川に25年ぶりの流水が復活した。だが住民の納得する流水回復ではなく、12月には協議会が再度要望書を知事に提出、「毎秒5トン・更新期間10年に短縮」という要求を行い1989年(平成元年)2月には大井川河川敷で1,000人が集まり決起大会を開催した。これを見た中部電力は遂に住民の要求に従うことになり、建設省との水利権更新において「通年放流量毎秒3トン、農繁期放流量毎秒5トン」の水利権返還を表明した。ただし水利権更新については30年更新で建設省に申請することとなり、静岡県もこれに同意した。

こうして塩郷ダムより毎秒5トンの水が放流されるようになり、完全に水が無かった大井川は遂に流水が復活した。斎藤知事はこの心境を「桜花 五トンの流れ 照り映えて 大いなる川 よみがえりたり」の短歌に認めた。この句は後に石碑となり、現在は塩郷ダム直下流の大井川親水公園内に建立されている。塩郷ダムの問題は解決したが、未だ最上流部の田代ダムの水利権返還は東京電力の拒否にあい解決されていなかった。

根本的な解決に向けて
2005年(平成17年)末、田代ダムの水利権更新が迫り流域自治体は発電用水利権の一部返還を求めた。田代ダムは富士川水系の早川に導水を行うため、山梨県も絡んだ広範囲な問題となり、電力会社と自治体だけの問題ではなくなった。このため国土交通省静岡県山梨県・大井川流域自治体(静岡市川根本町川根町)及び東京電力の5者による「大井川水利流量調整協議会」が結成され、田代ダムの水利権問題に対処することとなった。

塩郷ダムの水利権返還以後、河川開発を巡る周辺環境は激変し、河川環境に対する厳しい国民の視線が注がれるようになった。こうした風潮は1997年(平成9年)の河川法改正に影響を及ぼし、「河川環境の維持」が河川管理の重要な目標に挙げられた。この中で全ての電力会社管理ダムに対して河川維持放流の義務化が明記され、全国の電力会社は発電用ダムに放流バルブを設置して維持放流を実施した。この結果信濃川の西大滝ダム・宮中ダムのようにサケが戻りだした例も報告されだした。

東京電力は河川維持放流のための水利権一部返還に合意。流量についての交渉が行われた。だが地元自治体の納得できるだけの放流量ではなく、交渉は不調に終わった。このため大井川流域の住民は2万人の署名を集めて放流量の上乗せを要求、決起大会を開いて譲歩を迫った。これに対し東京電力は毎秒0.43トン~1.49トンの放流、水利権の10年更新で再度呈示、流域自治体も納得して11月29日に交渉は妥結した。2006年より田代ダムより毎秒0.43トンの試験放流が実施されており、中部電力管理5ダム(畑薙第一・畑薙第二・井川・奥泉・大井川)及び長島ダムと連携して0.43トンの連携上積み放流を現在検討している。

こうして大井川の「水返せ運動」は塩郷ダム完成より45年経過し、大井川の無水区間は解消し流水は復活した。だが「川原砂漠」が完全に解消されたわけではなく、かつての大井川復活にはまだ道半ばである。
</引用終わり>

長くてすみませんでした…何が言いたいか?って言うとですね。

…(゚д゚)これって「自然現象じゃなく人工的に作られてる景色だった」のか…って点と

中部電力東京電力の両者は静岡県の水利権返還要求を拒絶した。電力会社の立場からすれば、水力発電所における水はまさに生命線であり、水量を減少させることは発電能力を減衰させることに繋がり、それは単純に営業利益の減少に直結するため、当然承諾できる要求ではなかったのである

中部電力も住民との対立は企業イメージへの深刻な打撃を与えることを危惧し、4月に塩郷ダムより毎秒3トン、大井川ダムより毎秒1トン、寸又川のダム群より毎秒0.6~0.7トンの河川維持放流を行うことを表明、大井川に25年ぶりの流水が復活した。

>塩郷ダムの問題は解決したが、未だ最上流部の田代ダムの水利権返還は東京電力の拒否にあい解決されていなかった。

まぁた東電かよ…って感じ。

静岡って電気は「中部電力」なんですが、ここでも区域外の場所に迷惑掛けてる訳です。

…って言うか福島の事故が無ければ、この事は多分一生知らなかったと思うんですが
大井川周辺の人は、以前から「東電と戦ってた」訳で…原子力に留まらず
東電ってあっちコッチで問題起してるんですね。

静岡県の水利権返還要求を拒絶した。
>未だ最上流部の田代ダムの水利権返還は東京電力の拒否にあい解決されていない
東京電力は河川維持放流のための水利権一部返還に合意。流量についての交渉が行われた。だが地元自治体の納得できるだけの放流量ではなく、交渉は不調に終わった。このため大井川流域の住民は2万人の署名を集めて放流量の上乗せを要求、決起大会を開いて譲歩を迫った。

とまぁ何って言うんでしょ。最初の契約を守らず拒否するとか。わけわかんねぇ…
こう言う事を平気でするのが東電なんです。それに今始まった事じゃない。

多分太井川周辺地区の人は東電のヤリくちは十分承知な訳で
福島の一件を見てて「あ~お約束だわ」と思われてるんでしょうね。