当たり前に身近にある物は失わないと大切さを分からない…

とは、よく言われる話(例え)ですが…多分私は平均的な感性よりも「ジメジメ」してる方かもしれませんね。
何となくですが、会社の後輩と話してると羨ましい位に「カラっと」していて、とても羨ましいです。

会社の後輩と話た時に「今日はカラっとしてて気持ちがいいですよね~」なんて彼に言われたのですが
私の返答は「俺の心は震災以降何時もジメジメのカビカビだわ」とか言ったら、
後輩君は返事に困ってしまい…「あ(^^;でもホラ今って梅雨ですからね(^^;」とか言ってくれたにも関わらず

自らに追い討ちを掛ける様に
「そんなもんじゃないよ熱帯雨林だね。そのジャングルに潜むベトコンが、まさに俺」
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とか返答したら、後輩君は「( ̄▽ ̄;)…」って\(__ )ォィ

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そんなにマジに受け取らんでもヨロシ。'(と言いましたけど(^^;)


さて、今日(昨日か)は午後からの予定に穴が空いたので
街場にいても、それこそ「ジメジメ」なので久々に「海」へと行ってきました。
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何の気まぐれか?知らないけど、
以前「震災前の景色を忘れたくないので、あまり近づかない様にしてる」と言った
市内でも津波被害が大きかった地区である「豊間海岸」です。

瓦礫が無くなった今、この画像では家の基礎が累々と残ってるのは写ってないので
この場所の以前の姿を知らない人には「田舎の海岸なんて、これが普通だろ?」ってしか思わない風景ですね。

これは震災前の画像(他ページからの無断拝借。申し訳ありません。)
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私が居る位置がピンクで矢印を付けた場所になります。
この画像に見えてる家は全て残っていません。白の大きな建物2つは民宿でした。

右側の2階建ての民宿は「豊海荘」といって親戚が遊びに来た際に宿泊した事もあります。
向かって1番右側の部屋で、なぜか窓が小さく、いわば「外れ部屋」でしたが
当時の夏の賑わいでは、そこしか部屋が取れませんでした。

その後、その部屋の窓が拡張され普通になっていて、あの時小さい窓から一生懸命外を眺めたのは
「なんだったんだ(゚д゚)」と思ったりした事も…今では思い出になってしまいました。

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当時の賑わいの模様です。(元画像が小さくて画質がすみませんですね。状態です。)

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自宅から10km20kmしか離れてない場所に宿泊して何が楽しいんだ?って言われそうですが
夏のシーズンの、あの混雑を知ってれば「用がなけれな近づかないもん」ですしね。

午後3~4時頃で遊泳時間が終わり、
皆が帰宅の途に着く頃の夕方の人が去った雰囲気なんかは知りませんでしたし
翌日、豊間側から、ダラダラ歩いて灯台まで行ったのも初経験でしたので、とってもいい経験でした。

防波堤の先の海岸に目を向けると…
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こんなに砂浜が低かったかなぁ…と違和感を感じました。

そこで画像検索してみたら同じ様な角度で震災前に撮影されてる画像がありましたので、
度々申し訳ありませんが無断引用です。
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この4枚を比較すると分かりますが、
確かに隣の薄磯海岸よりは防波堤が高かったけどやはり現在は以前より下がっています。
津波で砂が流されたのか?地震での地盤沈下か?分かりませんが砂の量が減っています。

その証拠に下の画像では岩が転がってる様に見える様な程度なのが
上の画像では地中の岩盤が顔を出してるのが分かる程に…
防波堤を比較してみると上の画像の防波堤の下側の黒い筋までが砂で隠れていた部分みたいですね。


さて…上で>この画像に見えてる家は全て残っていません。と書きましたが
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「家が残ってるだろ?」って風景ですよね?手前に基礎があるのが分かるでしょうか?

つまり前にあった民宿が防波堤の役目を果たしたから残ってる
本来「こちら側」から見えないハズだった家々です。残ってるのは、そんな感じの家しか残ってませんし
1回部分は、それでもご覧の通りなので人が住める状態ではありません。

今日は震災後初めて、こんな長い時間海岸線に居ました。
そろそろ現実を認める気に…ようやく「なった」って感じでしょうか?もう1年以上も経つのにね。

ただただ、あの震災前の景色を頭に思い出しながら見つめる静かな時…と言いたかったんですが
意外に、この目の前の道路に「車通りがあって」落ち付かなかったのも事実です。

…って言うかね「ここは何処ですか?」って位、通るのは「県外ナンバー」とか
同県でも「福島」や「会津」ナンバーの車ばかりで地元ナンバーの車は私の車だけ。
ここに来るまで、ここから去る時も私の前後は他所のナンバーでした。

なんか…その「晒し物の見学地なんだなぁ」とか思いまして複雑な気持ちでした。
逆に「地元の人」に、とっては「無用の地」だから地元ナンバーが少ないのも事実。
私の様に「あえて近づかない」って人だって、まだまだ多いんじゃないかな?とも思います。

言い方は悪いですが、他所の人は「所詮他人ごと」ですからね。
震災前の景色を知る人には辛い景色でしかないんだけど…ね。
それが無い人には「いい物見見物スポット」なんでしょう。

それの何が悲しいかな?ってね。
震災前の賑わい、人の往来、町の活力を知らない人には
どんなに何を持ってして伝えても、結局は「その人の脳内の想像」でしかない。

震災前の情景なんて全く知らないんだから当然ったら当然なんですが…
それを知らない方が、こんな何も無い所を見て…何を感じるのかな。

と言うか震災前のソレを今は伝える事なんて千文百言を持っても無理です。
そう言う震災前の事を今は全く伝える術がなく、こんな風景しか残ってないのが悲しいね。

…と「大した事」を書いてますが、私自身も生活圏仕事圏だったから知ってるだけで
まさか「こんな事になる」と知っててて、見ておこう!とか思って生活してた訳じゃない。

1つ分かったのは「まさかこんな風景なんて自分が生きてる間に、そう変わる事なんかない」と思ってた事が
ある日を境に突然前触れもなく変わってしまう事があるって事です。
(仮に戦災だったとしたら、それまでになる前に「きな臭さ」とかで心の準備も多少はあるだろうけど。)

何が言いたいか?って言うとそう…今も、こんな風にウジウジとしてますが、そんな事をしてる間にも、
もっと別なモンが失われる…までの時間を自分は無駄にしてるだけかもしれない…って事かな。

こんな世の中だけど…それでも『今の日常を大事に。未来を大事に…』ね。