常磐交通 いわき駅~江名(経由)小名浜~泉駅 (改修版)

昨日書いた記事の焼き直しです。本日比較画像撮影の為に現地に出向きました。
昨日読まれた方は比較画像や追加画像だけご覧頂けたら…と思います。何度も同じ記事をすみません。

少し前に経営が厳しくなり(これは何処の地方路線も同じだと思う)路線が大幅に減らされた常磐交通。
確か以前、ここでも四倉~久ノ浜間の件は報告したと思いますが…

鉄道とは比較距離は短いですが、長距離路線から、まず先に廃止される傾向があります。
その中でも(三坂行き系統)を除くと平地を走行する路線では1番長いじゃないか?と思うのが題名の路線です。
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この路線は路線図から一部抜粋をしますが、ご覧の通り「もろに海側」です。(海側真紫の線)
当然去年の震災による津波では路線の道路が家屋の瓦礫の山となり通行できなくなりましたが
休止されたのは、ごくわずかで、海側を通る場所は路線変更され復活しました。
(上の地図で言う黄色い線の代之下から先の線の無い場所を進んで江名に向かってた。)
実際津波を被った道路は西原~豊間集会所まで及びます。(その先の江名地区でも同様)

現在「薄磯北町~兎渡路」間は瓦礫が撤去されて何もないのですが
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瓦礫が片付き道路の通行は可能なのでバス路線は上の紫線に23日から戻されます。
建物の土台しか無い更地?荒野の中にポツンとあるバス停は、一種独特の風景ですね。

「の印」~「江名」は一足先にルートが戻されています。
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例えが悪いですが、私も自宅が床上まで潮に浸かった立場なので、言ってもいいかな。
まるで、これからダムに沈む町の光景の様ですね。(以前福島市の茂庭で見た光景に似てる)

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バス停が見えてきました。

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「の印」と言うバス停です。(上の路線図の下側の方です。)

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この「の印」とは、ここにあった「の印水産」の事を指していたのかもしれません。
結構昔から、あったんでしょうね。大きな水産加工工場でした。

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の印水産の冷凍倉庫の跡地…(ったって地元の人じゃないと分からんですね。)

この辺りは薄磯海岸や、豊間の海岸線(海水浴場)がある所よりは、若干であるけど
家屋の破壊度が低かったんですが…
(例え=二階建て家屋が跡形もなくなる=破壊度強/二階建て家屋の1階部分が全壊=破壊度=若干低い=当然住めませんけど。)

津波により水産加工物が周囲に流失~腐敗して家屋に臭いが付いてしまい~で
家財道具が残ってたにしても、使い物にならず、
家も補修の選択が出来ない状態になってしまいまして解体されました。

たかが悪臭…とか思うかもしれませんが、
去年の夏はこの周辺は吐き気がする程でした…といえば想像出来ますかね?

実は、この路線の被災した区間は震災前より「好きな方」には有名で?
以前テレビでも「軒先擦れ擦れをカスメながら走行する路線」として
テレビ(バラエティ番組全国放送に取り上げられた事もあります。

なのでyoutubeに動画があるかな?とか思ったんですが、残念ながら無い模様。
(今更鉄道ならば、そう言う話題区間のは大概あるんですが…)

それとは関係無しに、今日は別の件でwebっていたら、
この路線に乗られた方が静止画を掲載さてれたので無断で引用させて頂きます。申し訳ない。

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各画像上が引用させて頂いた震災前の模様。中央が現在の同じ位置の光景。下が地図になります。

1番目の画像のカーブと言うか塀の場所…友人が免許取り経ての頃に
カセットの早送りをしていて、壁に気付かず危なくブツカリそうになったり…

2番目画像の白い建物の場所にバス停があるんですが、高校の夏休みの時に
気になってた?(笑)同級生が、そこでバス待ちをしていて(海水浴の帰りだったんだろう)
私はフルフェイスのヘルメット(シールドはスモーク)被ってましたが、
渋滞の中、その脇を通過する時にドキドキした思い出があります。

その光景は私の乗ってる物が自動車になって、歳を取り20になっても30になっても
ココを通る度に色褪せる事なく当時の光景が蘇った物ですが…

今は通っても何も思い出せなくなってましたが、久々に、この画像で思い出せましたね(^^;