新地駅だの…桃内駅だの…

ちょっと震災前の新地駅(昼間)の画像を見たくて検索したのですが…
想像通りって言うか、お約束の様に震災後の画像が多く出てきちゃいますね。
なにせ電車が流されて「あんな」になったんだから…しゃ~ねぇかって感じ。

その中で「震災直後」ではなく、今月の12日に現地に行かれた方のブログを見ました。

被災地の現状を見て下さい:福島県浜通り(相馬地方)

今、見直したらブログって言うより「ツィッター」なんですね。
と言うかアカウントも無ければ興味もないのでツイッターに対しての知識がなく
仮に反応したくても反応の仕方も知らないし、わざわざアカウントを作るのが面倒です。
(と言うか自分以外の人間の反応に相当依存度がある時点で私はちょっとね。)

…って事で「当自己満足日誌」なる場でしか書けないのですが
この記事を挙げてる方の文章は納得出来るイイ文書を書かれてるなぁと思いました。

「原町」「相馬」は、そろそろ瓦礫片付けのピークは終わったろうから(自分の地区の津波被災地から察するに)
この目で見に行きたいのですが、以前なら「ちょっと遠出」な郡山に行くみたな感覚だった原町や相馬…
今は「福島市」よりも遠い土地となってしまいました。

なので、おいそれ行く事も出来ずなのですが「震災直後」はともかく「今」の情報がない。
まぁ、お祭り騒ぎみたいなもんだった訳ですかね?

って事で、この方の記事は非常に役立ちました。
彼は岩手や宮城にも出向いてるので、そことの比較も書いていますので
やはり実際「復興の遅れ」って福島県は遅れてるんだ…とも思いました。
(どこも似た様なモンだろ…程度にしか思ってませんでしたので)

所で、記事の中に、こんな文章がありました。
イメージ 1
新地駅ホーム。もしかしてそれなりに大きな駅だったのかな?

矢印は私が付けた物です。勝手に申し訳ない。
ここに立って、この画像を撮影してる方を向いて見てると仮定して下の画像をご覧下さい。

イメージ 2

これが震災前の新地駅です。鉄道用語的には「2面3線」と呼ぶのかな?
上の画像を撮影してる位置は多分跨線橋の真下の線路と線路の間から、こちら撮影してる感じです。

当駅折り返しはありませんでしたが特急を退避するのに、ここでよく長い時間停車しました。
その間にホームに出て喫煙する私には、新地はお馴染みの駅でした。


イメージ 3

ホームの立ち位置は上の画像より、もっと先だとは思うけど…これは多分同じ方向。

ここは仮に原発事故が無かったにしても現在で鉄道が復旧してたか?といえば
新地はルート変更での復旧となる様で、ここに列車が来る事は二度とありません。

次、桃内駅
イメージ 4

イメージ 5

また画像は無断拝借…すみません。
桃内はカーブの中にあって山間でもない田舎の駅としては非常に珍しい駅です。

ここの休止理由は「津波」ではなく「原発」であり
この桃内は市街地から階段を上がった場所にあり津波の被災はありえません

確か記憶的に原発がある大熊(大野駅)双葉の2~3駅隣の駅。

(いわき~草野~四倉~久ノ浜~末続~広野~木戸~竜田~富岡~夜ノ森~大野~双葉~浪江~桃内~小高~原町だったかな?

つまり現在の立ち入れる北限の広野だと原発がある大野(大熊)まで5駅であるに対して
南限は2駅しか離れてない事になります。(田舎の場合駅間は約5kmと思えば大体の距離が出せます。)

イメージ 6

震災前の桃内駅
走行してる電車を見ればマニアな方なら分かると思いますが2007年以前です。
(画像は2006年の1月、水戸発仙台行きの長距離鈍行です。)

水戸仙台行き…は、震災前には無くなってましたが
水戸発原町行きはあったはず…でも、多分「私が生きてるウチ」は、もう再開通はありえませんね。

イメージ 7

逆に相馬~亘理間は見た目の損害は大きいですが数年後には再開出来てそうな気がします。
(もちろんルートは1部変わりますけど。)