50年前の交通網

今日は積雪し圧雪になった「長沢峠」の件を「みんカラ」で書くのに
道路画像のページに張り付いてましたが‥(^^;

歴史のページて面白い文章や画像を発見しました。

<引用開始>
一般国道49号》
平から郡山に至る一般国道49号は、古くは岩城街道と呼ばれ、さらに平~新潟を結ぶ国道新平線として知られてきました。この道は阿武隈山地を横過するために、急カーブ、急勾配があいつぎ、そのうえ 花崗岩 ( かこうがん ) 崖がそびえ立つ 隘路 ( あいろ ) となっていました。当時は郡山へ行くにも一日がかりの行程が当たり前でした。


イメージ 1

引用元→http://www.thr.mlit.go.jp/iwaki/hama-lib/shakai/henbou.html
</引用終わり>

画像の左側が50年前、右側が現在ですね。
国道49号線は、昔は国道115線と呼ばれており、現在の115線(原町~福島(市))とは別であります。

現在でも、国道49号の旧ルートは、現在の国道49号前に寄り添うようにチラホラ残っておりますので
国道49号線を意識して走行してると、ひょっとすると目にするかもしれません。
↑この件に関しては「DARK-RXさん」のdark的道部屋に紹介があります。

それにしても
>当時は郡山へ行くにも一日がかりの行程が当たり前でした
50年前当時って事は1963年(昭和38年)ですね。
昭和38年生まれの方が、まだ現役世代であると考えると、そう遠い昔の話でもない気もしますが‥

ただ、この道を実際自分の意思で(運転なり交通機関同乗なり)通られた方は+15歳ないし20歳であり
そうなると年齢にして60代、70代前半の方々って事には、なってしまいますが‥

1日係りって言うのは「人間の常識的な活動時間(起きてる時間)」と言う意味であり
24時間と言う意味では無いと思います。

つまり、朝出発し日が暮れる手前(冬なら頃)に到着する‥として
朝8時に出て、15時と仮定して、7時間程度掛かったっと解釈して良いか?と思われます。

当然、片道1車線かつ砂利道であり、終始揺られぱなしですから、着いた頃にはヘトヘトでしょう。
(って事で当時の移動の主役は鉄道だった訳ですね。)

現在は、郡山まで高速道路なら1時間程度、
49号線も、深夜なら同等(え?笑)昼間で90分程度だと思います。

実は上で、着いた頃にはヘトヘトと書きましたが‥「それが分からない訳ではありません」

今から20年前の国道49号線は、コンクリート舗装かつ、
コンクリ故に補修がされずに、郡山まで、あのコンクリ舗装の継ぎ目で終始揺られ‥
コンクリ自体の粗さを、タイヤが踏むノイズで延々「ゴーゴー」と言ってましたので
あの当時でも結構疲れました。

確か現在でもごく1部にソレが残ってる区間があったと思うのですが、
アレが終始だったら‥と思えば‥分かるかも知れません(^^;

まぁ乗ってた車が安モンなんだろ?とか言われれば否定しませんが
足を改造した車ではなく「ノーマル」でも、そんな風でした。

代行運転のバイトをしてる時に郡山まで帰るお客さんも当時は結構いて(バブルですから)
初代クラウンマジェスタを運転し郡山へ向った事がありますが
コンクリ舗装には、あのエアサスは相性最悪で「これなら普通のコイルサス」の方がいいわと思いました。

一方日産の「インフィニティQ45」のアクティブサスは、コンクリ石畳系には最高で

上に書いた様な路面なのにスイスイ走行して気付いたら郡山‥って感じでした。

と上で書いた通り「バブルで金があるのに何で一般国道よ?」って思うかもしれませんが
あの当時は「高速道路なんぞありません」でしたから(^^;

‥って言うか、まさか郡山と、いわきの間に高速道路が通るとか‥夢にも思ってませんでしたね。

その後、国道49号線は、高速道路が出来た事による交通量の減少で
コンクリの上に普通のアスファルトを敷く工事が出来る様になり‥やっと普通の道路になりました。

今の状態ならば「ガチガチ足の改造車」でも何って事はなくなりましたけどね。(^^;

現在国道49号線の、郡山~いわき間にある(いい感じの)古びた昭和40年代のままのドライブイン
その当時の名残な訳ですが‥道が良くなり高速も出来た今‥営業を辞めてる店も増えてきました。

是非、無くなってしまう前に寄ってみたい店もあるのですが…
なにぜ郡山(方面へ行く)って目的でしか、通らないので素通りしてしまうんですよねぇ‥

これは、やはり昭和1990年前半当時にはなかった「コンビニ」が出来たせいで
自分的には休憩って「平田村のセイブンイレブン」か「谷田川のローソン」ってのが多いもんなぁ。