住宅街に埋もれる古い石橋

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本日の仕事の移動中に見つけました。
知ってるつもりの市街地でも、まだまだ知らない道や橋が埋もれてるもの‥ですね。

って言うか、どうにも画像が白ぽく霞が掛かった様な感じになってしまいます。
元々「ソニー製のガラケー」は画質が悪いんですが‥これ調子悪いのかな?
以下、こんな感じの画像で申し訳ないです。


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橋には以前は名前の書かれた何か?が付いていた形跡があるのですが、現役なのに何故か外されています。
見ての通りの古い橋であり、車が通れるモノではないのは‥
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前後の取り付け道や橋脚を見ても明らかです。

ここは比較的新しい住宅が立ち並ぶ地区なのですが、
大きな敷地の家も点在してたりして、そこが元の地主さんなのかもしれません。

新しい住宅が立ち並んでる割には「○○丁目」と単純な住所ではなく
「○○町」とか言う古風な名前が付いてる住所が混在してたりします。

橋のつくりからして昭和の戦前戦中頃臭い気がします。
ひょっとすると「この地区で現存する1番古い橋」な気がしますので調べてみました。
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左側が1947年(昭和22年)で、右が震災直後の2011年(平成23年)です。
スカイブルーの矢印の橋は、近年掛けかけられた上で角度が変わっています。

と言うか左側の大きな川(夏井川)の長い橋も角度が違いますね。
画像で言う左側の場所‥妙に違和感があると思ったら以前は橋の袂であったか‥大発見。

で、それらに対してピンクの矢印の橋は昭和も平成も、そのままの場所にあります。
まさに戦後の混乱期に、こんな立派な橋は無理ですから、この橋は戦前製かと。
(多分大正~昭和戦前期)

この地区は上に書いた通り、少し前の新興住宅地なので
この橋の存在すら知らない方が殆どかもしれません。

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反対側も橋の取り付け部分が随分急なんですが‥これは多分元々では、ありません。
アスファルトが新しいのが特徴的ですが、
あの2011年3月11日の震災で橋が相当持ち上がったんでしょうね。

と言うか、その後の4月11日、4月12日の市内震源で更に持ち上がったのも間違いありません。
今にして「やっと冷静」に語れますが、3月11日の震災で道路的に1番信じられないのが
橋が持ち上がった事なのですが、その衝撃も覚めやらぬ
翌月の4月に、せっかく簡易的な補修が終わりつつあった頃に、それを無にする?様な?
あざ笑うかの様な?4月の巨大余震で、再度補修が必要になりました。

以前「昭和の宮城沖地震」で、ホームが湾曲した「(当時)丸森線の丸森駅」のホームが
そのまま補修して使われてる姿に「自然の力」を、まざまざ感じて
実際の目で見に行ったりして「すげー」なんて喜んでましたが‥
今や「市内のアチコチ」で、地震による構造物の変状が見れる様になってしまいました。
まぁ喜ばしいもんではないのは「自分で体験しみて初めて良く分かりました」けど。

話を戻しますが、橋が「どの位持ち上がったか?」って言うと‥
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多分‥あの震災の地震の揺れを知らない西日本や北海道、日本海側‥って言うか
震災後に福島県内を中通り会津と走行してみて感じたけど内陸でもココまでじゃなかったか‥
にわかには信じられないと思いますが(震災前の自分なら疑う。)

やはり4月の巨大余震2回が効いてると思うんだけど、この位持ち上がってると思います。
実はこの"このくらい"は、大袈裟ではなく、これ過小申告で線を引いてます。

や、御覧になってる方は「橋がこんなに持ち上がるならば周りが普通過ぎるだろ」とか
そう感じると思うんですが「土地は下がり」ハコものの「橋は持ち上がって」ます。
何ってか、その私もまだ正確には説明できないのでが「3次元的」に、持ち上がってます。

震災で日本自体の位置が「ありえないくらいズレ」たり「地球の自転も狂った」そうです。
面白いったら失礼ですが、まぁ「そこに住んでる」の、こう言う表現を許してもらうにして
こう言う地震が構造物に与える影響の解明や話って、えらい興味があるんですが
残念な事に「原発騒ぎ」ばかり大きくなってしまい「地震のなせる自然の力」について
現状、あまりにも語られてなく、あったにしても話題にもならず‥

原発なんぞの話なんか、正直もう「どうでもいい」ので
こう言う系の話を、学者さんとか研究家の方から聞いてみたいです。