ラジオのデジタル化、全国規模での実施困難

<引用開始>
難聴解消や高音質を目指して検討されてきたラジオのデジタル化が、民放局の足並みが
そろわず、全国規模での実施が困難になったことが22日わかった。

高層ビル化や電子機器の影響により、都市部での難聴問題を抱えるAM(中波)局が、
負担の大きいデジタル化よりもFM放送の開始により問題を解消する案が浮上して
いるためで、すでに在京AM局のほか、地方でもFMの検討を始めた局が出てきている。
総務省は同日、「放送ネットワークの強靱(きょうじん)化に関する検討会」を設置し、
今後、具体案を話し合う見通しだ。

ラジオ業界は、難聴対策に有効などとしてデジタルラジオの開始を検討してきたが、
実施には新しい端末の普及に加え、総額1200億円の設備投資が必要。深刻な
ラジオ離れの影響で、苦しい経営が続く民放局の中には難色を示す局が多く、NHKも
消極的だ。

元⇒http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20130222-OYT1T01643.htm?from=main5
</引用終わり>

記事に対しての文句ではなく「この流れ」について異論があるので書かせてもらいます。

最近市内の消防救急無線がデジタル化されたそうです。
警察無線に遅れる事、20?10年くらい‥遅れた原因は
消防団の車にも無線が付いてるのですが、その更新費用が出ないとか
消防団の方は受信機で無線を聞いて職場から現場に駆けつける場合とか
(受信自体は違法ではありません。)

テレビのデジタル化について‥都会の方には分からないかもですが田舎では
小山がボコボコあるので「受信困難地域」が出来ました。アナログの頃は何とか見れてたのに‥
これはデジタルはノイズに強いとかいって、逆に出力をアナログより下げてしまった為。
携帯電話も同様の理屈ですが、出力が低い=電池消費が少ないので利点もあったけど
(昔の携帯電話は電池を取ると「携帯無線機」とか書かれてました。)
携帯は受信だけじゃなく送信してるから。(じゃなきゃコッチの声は相手に伝わらない)

ラジオとかテレビ(や無線受信機は)は、「受信機」であり送信はしてませんから
出力が下がる事による利点はありません。

所で「例の震災」ですが‥何度も書いて飽き飽きですが、ここで忘れてた話をば。
震災前に越す事は決まっておりましたが、その準備の最中に、あの震災。
旧家は壁瓦が崩れガラスが割れた挙句に津波が床上一部浸水。
(タカリたくないし越す家があったので罹災保障とか一切受けてません。)

そこで震災の日から現在の家に住む事になったのですが‥何と「テレビが写らない」
震災のドタバタかつ外に出てアンテナを眺める事も躊躇われる時で原因を当時は追究してませんでしたが
要はブースター電源部が無い。(アンテナはブースター仕様)、分配器の電流通過端子の結線間違い。
アンテナのブースターの結線間違い(これは最終的に屋根に登った。)
誰が仕事したんすかね?大工さんがテキトーにやったとしか思えないけど

あんな最中「屋根に登る」前にアンテナ線の確認なんかしてる場合ではなかった‥が
あの頃は「アナログ放送」なので同軸ケーブルを細工して何とか放送が見れた。
イメージ 1
そのときの模様↑アナログ特有のジラジラ砂嵐で「アナログ放送」なのが分かりますよね?
アナログなら、アンテナが無くとも何とか受信出来るもんなんです。

あと引越し前の作業用に、ラジカセ(古い電池駆動の)があったのでラジオも不自由なく聞けました。

これがデジタルだと、ある程度アンテナがちゃんとしてないと(受信が安定してないと)
入るか?入らないか?しかなく、この様な「アナログで砂嵐」なら入らない状況です。

上で携帯を例に出しましたが、
アナログの頃は大規模基地局塔(数は少ない)に大出力の組み合わせでしたが
デジタルでも最初は↑これで間に合う計算だったのか?実際は「穴だらけ」になり
デジタルは使えないってイメージでした。

改善したのはデジタル用に小規模基地局を設置したから‥ですが
それは「それでも採算が合うから」です。(利用者から請求書で金を取ってるから
基本、聞くのが無料なラジオに「そんな財力や見込み」なんかある訳がありません。

挙句、テレビ同様、聴く側が「わざわざ受信機買うなら、もう聴かない」という流れになるし‥
(ってかテレビもデジタルになったら見ないとかヌカしてた某掲示板の連中ですが、
相変わらず何だカンだ言って見てるんですね。私は本当に見なくなりました。部屋にもないし。)

と言うか「デジタル=良い」「アナログ=悪い」って流れに、相変わらずなってますが
もう21世紀っすよ?まだ気付かないかね?アナログだから悪いって理屈は
少なくとも「無線受信機機」(本当の無線、テレビ、ラジオ、防災無線)では、誤りに気付いて欲しいです。

この理屈で言うと究極
「アナログの塊である人間の存在も否定」になってしまうのではないでしょうか?