照島ったら…

私より年上の世代は「ランド」(遊園地?水族館?プール?)と想像するだろうけど
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私の世代だと…「ビーバップ・ハイスクール」(ロケ地…まぁ廃墟な照島ランドです。)

この映画が上映された頃は、まさに「こう言う世代」(中学生)だったので
「古いものより新しいもの」「流行を追いかけてばかり」なんて頃で、景色については全くの対象外でしたが
改めて「在りし日の照島ランド」を見たくて、映画を見てみました。
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…まぁ今見ると、青臭くて見るに耐えませんな。笑
こんな映画に刺激されて「殺すそオラァ」とか叫んでた当時の自分の過去が悲しすぎます。爆

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景色に写る断崖が、今でも少し跡を留めてる気がしないでもありません。

自分が自動車免許を取って、この辺りまで気楽に足を伸ばせる様になった頃には
すでに「照島ランド」は解体されて再開発が入ってる最中で、もう跡は無かった気がします。

再開発されたホテルによって「照島」は気軽に見れる島ではなくなってしまい
(ホテル敷地内からしか身近に見る事が出来ない)
照島を良く覚えてるのは文化センターの市の展示物のパネルで…なんてヲチでしたが
その形状(台形の絶壁の孤島)は、上の映画の画像を見ただけで「照島」ってのは分かります。
(当時は映画にばかり目が行き友人に教えてもらうまで気付きませんでしたけど。ってぉぃ。笑)

生の「照島ランド」を知らない世代としては照島ランドの正確な位置関係も知らないのでオサライしてみます。
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上の画像は1975年(昭和50年)で、映画は1985年頃(昭和60年頃)なので10年の隔たりはありますが
この頃からすでに「ゴルフ場」の開発が始まっていたんですね。

ちなみに、この画像より、さらに10年?20年遡ると
画像の右の部分が(現在の産業道路が走行してる辺り)が砂浜です。

ウチの祖母(すでに他界/明治生まれ)が、昔、泉には海岸があって歩いて海までいった…なんて言う
「にわかには信じられない話」を、祖母が他界して15年ほど経った今…
見る事になるとは、何とも不思議な感覚です。

そして現在(震災前)の模様です。
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以前、この辺りの航空写真を見た際に、ゴルフ場にある2つの入江に不思議?不自然?さを感じて
ここって実際「どんな風なんだろう?」とか興味を持ったのですが、
上の70年代の「照島ランド」があった頃、この入江は存在しておらず人工的なもの…と気付きました。

あと上で「わざわざ震災前」と触れたのは画像右側のヨットの波止場である「いわきサンマリーナ」が
津波で大打撃を受け…そのまま廃止となったからです。

このサンマリーナは国体に併せて作られたもので、その後は赤字(お約束)で無駄なもの…とか言われてました。
自分的には、ここだけ「いわき」の雰囲気ではなく、別の土地に突然迷い込んだみたいな雰囲気が好きでしたが
まぁ、そう思うだけあって「確かに田舎には需要がなく」赤字なのも理解出来ます。
(これが横浜とか静岡なら違ったんでしょうけどね。)

現在の勤務先は「平」なのですが震災数年前の数年間は(わかりづれぇ表現だ)「小名浜」に勤務してたので
仕事の中休みで時間が余った際には、三崎公園ではなく、よくココに来ていた思い出がある場所です。
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ちなみにHomePageの画像も、このサンマリーナに降りる橋で撮影したものです。

所で「照島」なんですが、震災前より「侵食激しく年々崩落してる」と聞いてましたので
震災後(津波地震)で「どうなったのか?」気になり初めて検索してみました。
http://pub.ne.jp/88no63/?entry_id=3642396(無断リンクです。ごめんなさい。)
やはり形状が変わってしまったんですねぇ…

でも双葉郡富岡町の「蝋燭岩」の様に、
http://blogs.yahoo.co.jp/ookami_goya/61651493.html
跡形もなく消えた訳ではないので、残ってるだけマシと思うしかありません。