自分の車で自分1人で動いてたので、立ち寄ってみる事に‥
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101131601.jpg)
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101131610.jpg)
上の看板はペンキ塗りで書かれていますが昭和の終わり~平成初期には
ペンキ塗りからカッティングシート貼り付けに取って変わりました。
↑ただ、この頃はカッティングマシンは無くシートは手切りだったと思います。
実は、残念ながら実際に稼動してた頃は同じ市内でも南部なので見た事はありませんが‥
(いわき市ってのは広くて、私が住んでる町からココまで普通の自治体なら市が2~3個あるレベルの遠さ)
場所はココです。
現在のこの場所の雰囲気からするに※場違いな感じがしますが、ここに歴史が絡んでいます。
※場違い=食品自動販売機が設置されてた場所は
大型貨物の長距離トラックのメインルート沿いが多いです。
理由は「コンビニが無かった時代に深夜で出先で食事をするには、昼間に買い溜めするか?
こう言う自動販売機しかなかった為です。
バイパス途中の乗り降り口‥トラックなんかバイパス上を、素通りしてしまう様な場所ですが
この小屋が設置された頃は「ここが終点」だったと思われます。
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101131630.jpg)
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101131620.jpg)
実は昭和50年頃の航空写真を見ると、市内南部の工事は既に始まっており
1970年代から2000年まで30年も掛けて全通しました。
その証拠に常磐パイパスの始点である「勿来」から終点の「平(神谷)」まで走行してみると
道路設備に差があって次第に近代的になるのが結構面白かったりします。
このパイパス‥高速道路の様に目を三角にして走行するバカが多いですが
そう言うのに釣られずに、こんなモノを見ながら走行すると結構楽しいですよ。