イエローピーポー

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申し訳ないが、他の方の書いていた文章を、そのまま引用。
『(子供の頃に)暴れたり、 喚 わめ いたりすると「黄色い救急車呼ぶぞ!」と(親に)よく言われたものでした。』
括弧内は、私の補足です。

この黄色い救急車の件。実際には存在しておらず、子供を静かにさせる為の大人の作り話が起源らしいです。
私の育った地区では「黄色い救急車」と言うのが子供同士では長ったらしいので、
題名の様な「イエローピーポー」と俗称まで持っていました。

普通の救急車とはサイレンの音が違って不気味な音だって話ですが‥
実際に、黄色い救急車を私は、この歳まで1度も見た事がないし
私の幼少や思春期の頃よりも、まして現代なんかは、この救急車が、あったとしたら
相当活躍してそう…だけど、今も全く見た事がない。

大体「サイレン」は、乗ってる人間に聞かせるのではなく、外に居る健常者に促してるのに
不気味な音にする意味がないのである。笑

驚いたのは「実際ないモノ」の話なのに、これがwebで検索すると「日本全国レベル」で知られてる話って件。
どうしたら、こんなに「実在しないものが、広まったのか?」不思議である。

上の引用文を引用させて頂いた方は1960年代生まれと、私よりも年上で世代的にも違うと思うのですが
(世代の違い=流行ってた歌とか遊んだ玩具とか、影響受けた映画や漫画とか)
その頃には「すでに、この話は存在」していて、少なくとも「私世代までは通用する」って事。
(80年代生まれ、90年代生まれの方は、どうか?わからないけど、流石に平成生まれの方には???かも。)

って言うか「現代」の場合は、調べたくなれば直ぐに調べられる時代なので
その話の嘘や本当‥そんな風に白黒ハッキリしなくとも
「どんなグレー色か?」自分で判断する材料が簡単に転がってて調べられるので
こんな嘘・噂は「大災害のパニックに乗じでもしない」と流布できないだろうし、
そして「時期も短期」で終わってしまうと思う。

そう言う時代背景を考えると60年代や70年代‥いや80年代や90年代も怪しいもの‥なんですが
60年代以前に、実は「この噂が、あっと言う間に日本に広まる土台」が存在実在してました。

それは「ハンセン病患者専用輸送列車」って奴。
60年代以前となると日本はインターネットは当然として、自家用車すら殆どない時代で
人々の移動のメインは鉄道でした。

ハンセン病を患った方々を、移送するにも、当然「列車」で行う訳ですが
貸切車両を増結したり、深夜に専用列車を走らせて運んだ事実は確かにあるそうです。
色が黄色の車両だった‥って事はないのですが、
この様に「隔離を要する病気に罹った者を強制的に病院へ運んだ」事実は、確かに昔は存在しました。
(ハンセン病自体が隔離が必要だったのか?の話は、まだ別になるので今回は書きません。
ってか数年前に大騒ぎになったので、覚えてる人は覚えてるはず。)


そんな事実があったのが、そう遠くなかった時代の頃。
ましてネットも、テレビすらない頃は、情報は新聞か?若しくは「人の噂」だったので
それこそ、上に書いた土台があったので「あっ」と言う間に広がり、挙句根付いた。

私は、そんな風に思います。

上で「ハンセン病」についての、以前の扱われ方や、現在の置かれた状況について
省くを書かせて頂きました。

‥これらについては、興味のある方は検索して頂くと‥して
検索すると「扱われ方」や「体に現れる病変」とか‥そう言う系統に、つい目が言ってしまい
病気の本筋に触れないまま、終わってしまう可能性があるのですが‥

「実際の所、どんな病気か?」ってのが=「病変」(体の一部を失う)と思いがち‥と言うか
インパクトが言い方が失礼ですが「ある」ので、「それ」と思い調べもしないと思いますが‥実は違います。

ちょっと長いですが、引用します。
<引用開始>
ハンセン病は治る病気です。治療しなくても治ってしまうこともあります。しかし、治療薬のなかった時代は病が重くなってしまう人がいました。これはハンセン病に限らずすべての感染症に当てはまることです。ハンセン病がことさらに怖い病気と勘違いされたのは、病気の活動期の症状と病気が治った後の後遺症とが区別しにくいことに起因するのではないでしょうか。病が進むと体の表面近くにある細い神経繊維が破壊されてしまいます。神経は破壊が進みすぎると完全には再生しません。したがって一部の神経はその働きを永久に失ってしまいます。治療により体の中の病原菌がなくなってもこの失われた働きは元に戻りません。この後遺症による障害があるためにハンセン病は治らない病気だ-いつまでも体内に菌を宿している-と誤解されてきたのだと思います。
ハンセン病の主な症状である知覚障害は日常生活を営む上で大きな障害になります。
Mさんはかつてハンセン病にかかっていました。今でも両上肢の肘から指先までと両下肢の膝からつま先までの知覚がありません。畑仕事を終えてシャワーを浴びようと、瞬間湯沸し器を使いました。まず足を洗いました。次に体へとシャワーをかけたとたん飛び上がりました。熱湯に近いお湯だったのです。両足とも皮下に達するやけどを負ってしまいました。
Iさんは山が好きです。特に山芋の季節になるとうきうきして山に出かけます。ある日ご機嫌で山から帰ってきました。一風呂浴びて掘りたての山芋を肴に一杯やり床につきました。翌日、寒気と震えで目がさめました。右足が赤く腫れあがっています。足の裏に小さい傷がありどうやらそこから感染したらしいのです。前日山に履いていった靴を調べてみると小さい石ころが靴底に残っていました。石ころを踏みつけたために出来た傷に気づかずに風呂に入ったため感染したのだと思われました。
指先に刺さったとげに気づかず、あるいは指先に出来た小さな傷に気がつかないまま水仕事、土いじりなどを続けたために化膿してしまい骨髄炎まで進んでしまって、やむなく指を切断せざるを得なくなることがあります。
私たちが生活する限り、気づかないうちに小さい傷をしょっちゅう作っているのは誰でも経験することでしょう。痛みを感じればその場で治療するでしょう。
知覚に障害を持つ人たちは小さい傷に気づかないことの恐ろしさを熟知し、細心の注意を払って生活しておられるのですが、それでも活動する限り小さな外傷を受けることは避けられません。その結果手足の感染症が絶えず、指の変形などが進行してしまいます。このことがハンセン病は治らないし進行性であるという誤解を招いているのだと思います。
ハンセン病は治らないものと思っておられるハンセン病体験者の方も居られるぐらいです。治れば知覚が正常になり、動かない指も動くようになるはずではないかと。
ハンセン病が活動しているときの症状と後遺症が同じなのですから無理もないのですが、この両者をはっきり区別して考えてください。

ハンセン病は治る病気です。障害が重くなる前に治療すれば後遺症も残りません。

</引用終わり>

大変理解しやすく、私が説明するまでの事もありませんが、要は、こう言う事です。

部屋を歩っていて、タンスの角に小指をぶつけて、その猛烈な痛みにモガキ苦しんだり
はたまた怒りを覚えたりしますよね?

この考えが増長して極端な話まですれば
「どうせ直るんだからココまで痛みを感じる事もないのに」とか思うかも知れません。

‥まぁ、それはサテオキ「痛み」ってのは「とても大事」な事で「嫌でも痛みを感じて患部に注目する」って言う
人間の機能が仮になかった場合、結果は、同じ事となる訳です。

痛みを感じる‥感じれるって事に少しは感謝できる様にでもなれば
痛い最中でも、すこしは気が楽に‥なる訳ないか一杯一杯で(^^;