![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101201730.jpg)
ちなみに良く見るのはコッチ。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101201740.jpg)
上のは、これと、ちょっと違う。
駅名が「いわき駅」になってしまい、住所としての「福島県 いわき市 平」が、
すっかり存在感が無くなってしまいましたが、
戦時~戦後暫くも「福島県 岩城郡 平市」だか、「福島県 平市」だったりした訳ですが‥
戦時中の国内の話については、何故か祖母から聞いた話が多いのは当たり前で
祖父は戦争に駆出されて日本に居なかった訳で‥
で、実際、この「平」に住んでた訳ですが(実家は平の南町です。)
現在の「平第一小学校校庭」に、凄く大きな爆弾が落とされた話が有名で
(もう生きてる人も少ないだろうけど)当時、住んでた人なら誰でも覚えてる話だと思われます。
それは「原発の模擬爆弾」(予行演習弾)だった話は、戦後に分かる訳ですが
終戦間近には海からの米軍の艦砲射撃が物凄くて、海から10km程、離れてる「平の町」にも
その音は響きまくっていたそうです。
で、小名浜の花火大会の日に、海の方から聞こえる花火の音を聞くと
当時の「艦砲射撃を思い出して怖さが蘇る」とも語っていました。
所で先日、その平第一小学校校庭に落とされた爆弾(10t爆弾とか言ってた様な)
祖母の話では「街に落とそうとして風に流されハズレたんだか?脅しだったんだか‥」と言ってましたが
先日、その小学校の校庭がある山を見て「目的があったんだ」と気付きました。
鉄道(常磐線)の破壊ですね。
当時の陸上の交通手段の主役は鉄道でした。
そして隣の内郷や、湯本には炭鉱があって、その石炭を関東に運んでいたのも常磐線。
(北茨城にも炭鉱がある。)
でも「平」自体には炭鉱がなく、かつ「茨城」や「内郷」「湯本」はトンネルの南側であり
トンネルが潰れたにしても関東方面には線路が断たれる事はありません。
んが、当時は機関車で貨車なり客車を牽引してましたが、その機関区が「平」にあった。
機関車が南に動けなくなれば線路を断たれたも同様な訳で‥
そんなこんなで狙って落としたんでしょうねぇ。
所で、その爆弾の影響でトンネルが崩落した‥とは聞いた事がないのですが
10tの爆弾を以ってしても、地下構造物って破壊できないもんなんでしょうかね。
(現在の技術なら出来ます。軍事には詳しくないですがバンカーバスター?とかって言う地中構造物の破壊爆弾があった様な。)