黒いダイア

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携帯のカメラの遠方ピントがダメならば、近くのモンをば‥なんて居直りではありませんが‥

以前から「ボタ山」には興味があったのですが、仕事ついでに容易に近づける場所もなく
そんなこんなで眺めていた「山」の近くに
今日は仕事で行ったので、ちょっと山麓?裾野?を探索?散策?してみました。
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やっぱピントが合わないっすねぇ‥苦笑 これがボタ山です。

石炭全盛期を知る世代の方なら、今でもパッと見て雰囲気で分かるかも知れませんが
私世代(以降)だと、石炭を実用として使ってる姿すら知らなかったりします。

昭和50年代の小学生だった頃ならば、もっと炭鉱の跡は明確だったと思います。
確かにこの辺りは独特の雰囲気があった気がしますが、

今や昔、興味を持って調べてみたり、上の世代から聞いてみないと分からないくらいに
自然と同化してしまっていて中々区別が付きませんね。

上で手に乗せてるのは「やっと探して、たまたま見つけた一辺」ってことでもなく
それこそ、その気になって探したら、もっと大きいのが見つかると思うし
この程度や、これ以下の軽石と区別が付きづらい程度のならゴロゴロ転がってます。

で、上の一片の話に戻りますが、これを見て思った感想は、まさに「夏草や兵どもが夢の跡」です。
夏草ではないですが‥(^^;

かつては黒いダイヤと呼ばれ‥現在の産油国程ではないにしろ
ここに人が集まり、賑やかだった名残が、この欠片から感じ取る事が出来ました。

決して市内にある「石炭化石館」を無駄とかバカ呼ばわりしてる訳ではないのですが
こんな『野っ原』に普通に転がってる石炭屑を見る方が、もっと伝わってくるものがある気‥もしますが

あくまでコレ。私が興味を持ってるからだけで、やっぱ全く無関心な方は
やはり石炭化石館から‥ですよね。

↑大した事を書いてますが、私も実は「そこ」から興味を持ったって言うか?
明治大正昭和の近代工業に興味があるから‥ってのが前提ですし(^^;

私より上の世代で炭鉱に親が勤めており、炭鉱長屋に住んでた世代の方に聞いた話では
その石炭を使い、火力発電する小規模発電所がアチコチにあって
社宅は電気料金がタダだったそうです。(あと銭湯も)

ちなみに、この辺り(常磐墨田)は、それこそ低質炭で‥重宝されたのは
物資が不足した戦時や、戦後の復興期までだった‥との事です。

九州や、北海道は、上質な石炭が出て、それに負け
最後の頃は、掘れば掘るほど赤字だったとか‥