鼻血ブー(漫画家に対するイヤミ)

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なにやら、外国に住みつつ、現地に来たんだか?ちょろっと来て聞きかじった話から
好き勝手書いてる漫画家が居る様ですが‥そう言う奴には好き勝手言わせておくとして。

先日(6月1日)から、常磐線の運転区間が、広野駅の2駅先の楢葉町竜田駅まで延長されました。
そんなこんな‥本当は仕事で試運転してた頃から知ってるのですが、仕事中じゃ、ゆっくり眺められないので

その延長区間の話と、ついでだから‥と約1年ぶりに富岡町まで行ってみましたので
そんなこんなのレポートです。

では、話は「広野駅」から‥
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思った以上に駅前に活気があって、人が沢山居たので、ヘタレな私は駅正面を撮影出来ず。笑
まぁ、この画像で伝わればいいのですが‥先日まで常磐線の南区間の南限だった広野駅
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仮設ホームが画像に写っているレールの手前に仮設ホームが作られてましたが
北限が「竜田」へ延長となるに従い仮設ホームが撤去されて震災前の姿に戻っていました。

ホームに書いてあるペイントには「スーパーひたちの文字」が‥
まぁ画像の角度は悪いですが、仮設ホームが無くなってる事さえ伝わればいいので
これで広野編は終わりです。

次、楢葉町の「木戸駅」周辺。
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常磐線の「四倉」以北は、岩沼まで単線区間と言う感じな訳ですが
一部区間だけ複線区間が存在してて、それが「広野~木戸」と、もう1つが「大野」~「双葉」です。
今回の復旧に辺り、仙台(原町や相馬)と繋がってる訳でもないし、特急も貨物も消え。
竜田で折り返してくる普通電車が通るだけで、ここが複線である意味が無くなりました。
(まして、原町までの再開通の目処もないし、あったにしても10年先って感じだし)

線路は敷いたら「それで終わり」って訳でもなく維持管理に人手(費用)が掛かります。
再開通の際は「単線化」か‥と思ってたら、ちゃんと複線で復旧させてるし
開通以来、上下線に列車が通るらしく、線路は輝きを取り戻してました。
(まだイマイチ鈍いですが)

良くみると木戸~広野間は上下線が繋がってないんですね。(つまり渡り線がない)
オマケに良く考えると信号機の向きも複線区間だから片方にしか向いてないし
その他の保安関係や、片方しか通らないから問題ない作りだけど、逆に通るとなると
土木工事を伴う修正も必要になってくるので、なら直して維持管理した方が安いって事になったんでしょうね。

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木戸駅にも、ここまでしか近づいてません。(ヘタレすぎてレポになってないw)
まぁ他の方が駅なんかはレポされてるでしょから、別に私奴が頑張る必要がない。(^^;

直した割りには、ここから見ると随分ヘロヘロな感じがしますが‥
まぁ砂利を盛ったばかりなので、列車がある程度通って落ち着いてから修正掛けるんでしょう。

これ以上は、あえて木戸駅には行きませんでした。
高校時代の同級生の友人2人が以前は住んでおり、思い出のある駅です。
なので「察して」ください。

そんで来ました「竜田駅
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タクシーは運転再開を、まだしてないんですね。

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あと郵政も再開してないのでポストにビニールシートか被せてあります。

自販機は動いてました。動いてたのは「画像に写ってるポストの奥の」だけで
その他駅前商店の販売機は、震災の時のままです。

楢葉町は、まだ住民が住めない(夜を過ごせない=夜間立ち入り制限)なので
当たり前ったら当たり前です。

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で、この数値ですが浜側では若干高い数値かも知れませんが
福島県の内陸である中通りの「福島市」や「郡山」だと、これくらいの地域や、もっと高い地区もあります。

楢葉町が過敏だとか便乗とか言うつもりはないけど
この数値からにして徐染を徹底するまで帰る許可を出さないとか言うなら
中通りに避難してる人は「矛盾」してる事になりますし

中通りの地方都市で普通に生活してる人々は「おかしい」って事にも。
まぁ良く分からんですが、震災後の福島県内は矛盾が多すぎて
矛盾を矛盾と感じ考えない事が「暮らす為に必要な事」だと思います。

とことん究極納得出来ないなら、県外に出る!って覚悟がある(実行してる)人だけが
「矛盾を」「おかしい」って言う権利があるし、言葉に筋が通るって感じ。

あとは先に書いた通りで「矛盾を矛盾と思わず無視」するのも「ある意味筋が通る」とも思う。
(私は後者であり、前者は友人である。)

まぁ、そんなこんなで
私が、こうヤって撮影してるので、お分かりの通りで「人の気配が全くない」って
言いたくないけど言わざる得ない状態です。
電車が来た時だけ人が増えるが、すぐ折り返しで消えてしまう。

電車が来る前に駅舎と構内に行ってみました。
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切符券売機がないので、この様なモノがあります。お陰で記念?切符を買わずに済んだ。
(本当は窓口が空いてたら木戸まで買いたかったんですが‥暇だから乗って帰りは竜田まで歩くのもありかも?笑)

構内
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広野駅で見られた様な線路を跨ぐ仮設跨線橋が作られてます。ただ広野の様なホームまでは作らず
3番線を使い発着してるのでホームは正規のホームです。

木戸と比べて線路が3本通ってるのは1本は側線、あとは上下の本線。
3番線が側線だったけかな?
この辺りは夜か早朝した乗った記憶がなく、良く覚えてないけど、
上りの特急の追い抜きの際は普通電車が3番線に入った?様な?

木戸駅の構内がシンプルなのは広野~木戸間が複線だからです。
広野のは以前は貨物側線が海側にあったけど、今は撤去されてます。


竜田以北は開通の目処が全くないので、竜田以北はご覧の通りです。
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震災当初や、その翌年と変わらない絵‥ですが、変わった点もあります。
↑このテの画像は、他サイトで簡単に「常磐線 不通区間」で検索出来ますので
それはお任せするとして‥この場所「砂利を敷きなおした」訳でもないのに、妙に砂利が綺麗ですよね?

レールは茶色のは当然として、生きてる線路ってのは、レールの踏む面は光ってても
その他は茶色で、砂利も茶色なのが普通な訳です。

つまり数年、レールの上を列車が通らないので鉄粉が散らないので
雨で砂利の上の鉄分は流れて綺麗になってしまってる状態って事で
これはこれで震災直後には無かった感じですね。(草は、まぁ除草しないと、こんなもんかと)





以上で鉄道系の話は終わりますので、鉄道絡みでご覧になってる方は、以下は「つまらない」かもです。

富岡市街編。(富岡は町であり市ではないですが俗称で)
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津波で駅が流れてしまったので、当然「鉄道」では行けませんから自家用車にて‥
富岡の商店街は駅から、かなり離れています。


どういう理由で「こうなったのか?」分かりませんが、駅前の方が以前から寂しい感じ。
鉄道メインで発展した町ではなく、鉄道の無かった頃の旧街道沿いの宿場町なのかも知れません。
(昔の人の健脚であるけば、ちょうど「いわき・平」からも「南相馬・原町」からも1日位の距離ですし。)

以前は、流石に「原発に近い」って事と、津波で駅が流れたインパクトから
この町の中を見なかったのですが「地震による建物の損壊」が、自分の住んでる町の比ではありません。

これは「震災から3年経って忘れてる」訳ではなく、確実に「富岡」は酷い。
そして隣の町である楢葉も酷かったであろう事が窺い知れる建物があります。(道路も同様)

揺れの大きさ、質が違ったのかも知れませんが、原発間近の双葉では鉄道橋が落下してます。
(津波によるものではなく揺れで落ちてる)

あの揺れ以上に凄かった‥ってのは想像しがたいですが、自分が味わったものより
さらに双葉郡は揺れたってのは、原発の事ばかりで注目されてませんが間違いありません。

さて、そんな損壊建物の画像を晒してもアレですから、違った視点で‥
以下は今日撮影した画像であり、数年や数ヶ月前ではありません。

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410円のマイルドセブン

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鋭い人でも、せいぜい「Hot」の比率が、今時期にしては多い(=冬から、そのまま)程度かも?ですし
コカコーラ系は、地方によってラインナップが違うので、旧仙台コカコーラ管轄地区で
それ系の仕事をしてる人しか分からないかも?ですが、微妙に現在とラインナップや
デザインが違う‥って風だと思いますが、これは2011年の3月のまま‥だからです。

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富岡町は、マジメに3年前で時が止まっており
商店街の割れたウィンドウが、そのままで中のカーテンが揺れてたり
建物が倒壊したまま‥で、その場に居ると3年前にタイムスリップしたか?の様な感覚に陥ります。
(あくまで、あの地震でブロック倒壊したり断水したりまでの地域に住んでた者の感覚であり‥
全然知らない方には、初体験で「あの地震の凄さ」を目の当たりに出来ると言うか‥)

この家屋(商店)は、中に人が居そうにも見えますが、人はおらず、殆ど2011年のままでしょう。
広野や楢葉も、一時は町民が避難しましたが、富岡と違い「商店街」と呼ぶ程の規模のモノはなく
ここ富岡で、商店街を見ると、陳列が、そのままで埃を被っていたり、ちょっといい表せない衝撃でした。

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バスは地震前に次の運用である方向幕を出したまま‥なのかも知れませんが
良くみるとナンバーブレートが外されてます。

もう廃車にするしかないのか?(まぁ3年動かさなきゃ被曝がなくとも2種で使うには整備が大変ですが)
ナンバーブレートが盗難に遭ったのか?はたまた盗難避けに外してあるのか?良く分かりませんが‥


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auショップも、以前のままの看板です。

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2011年は、まだスマホの時代では無かったのかも?リスモ(ガラケー)の旗が見えます。
実はココのショップには結構お世話になりました。

市内のショップって混んでて時間が掛かって仕方ないので、機種変更とか良く富岡に足を伸ばしたんですよね。
そのあと、港の蝋燭岩を見にいったり(地震津波?で倒壊)大熊まで餃子を食べにいったり‥

んで富岡駅前
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津波でブチ抜かれた建物が、そのまま‥
流石に道路に散らばった瓦礫は交通の邪魔になるので片付けされましたが
そうではない箇所には車が散乱してます。

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私が立ってる位置が海側です。良くみると車が折り重なってますが
つまり津波で押し流されて、ちょうど建物に引っかかって折り重なった状態のまま‥です。

これは実際の双葉郡民である、御客さんに聞いたのですが
津波が入って家屋がご覧の状態になると、そっくりしてる家屋に対する被曝保障の金額が下りないとの事。

んでも富岡辺りは、津波が来ようと、来まいと、結果現状「人が住めず保障が出てる」んだから
家が、そっくりしてても結果「住めない」事は変わらず‥この辺りの家の人にも一律出してあげたらいいのに‥

だって、私の住む市では「ここまで放置しないで、何とか後に住める様に手入れして直して住んでる人」も
居るわけで‥なにより、かにより「後片付けすら出来なかった」って状況が宜しくなかったと思うんですが‥
ど~なんでしょね。

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乗ってた方が無事であった‥と言う前提でいえば「3年も放置すると、ある意味オブジェ」になってる。
(言い方が悪くて失礼)

後に見える車も駐車してる様に見えますが津波罹災です。良くみると錆びてボロボロですから。

まぁ、そんな‥こんなでした。
感じたのは、北へ行けば行く程、町が変わる度に雰囲気が変わるって点。
景色が建物が‥ではなく「車を止め降り立った際に感じる」モノとか、走行してる最中の雰囲気とか

広野は、もう「いまさら普通」と思います。(人は少ないけど。)
楢葉も、まぁ「居て居心地悪い」って程の雰囲気は薄れた気もしないでもない。
(でも広野よりは、やっぱ居辛いかな?自分の町でもなし部外者だから尚更ね。)
でも富岡は別格で「俺はココに居ていいのか?」ってのが猛烈に感じます。

それは放射能ドウコウの目に見えないものではなく、まさに雰囲気です。
すれ違う人も、この暑いのにマスクしてるし、まず一般の人ってのが本当に少ない。
自分が「明らかに浮いてる」のを感じました。

長くなりました。疲れた~以上でイキナリですがレポを終えます。