3年ぶり114号線

かの、震災の前日である2011年3月10日の夕方少し前に通行したっきり
もう3年も通行してなかった国道114号線を、先日久々に通ってみたくなり‥
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フラッと川俣町まで行ってみました。(フラフラ行く距離では無ぇわなぁw)
もちろん、私は避難民ではないので、ここを通って浜まで通行出来る権限はなく
今、114で通行出来るのは川俣~福島付近であるので、えらい遠回りであります。

行きは良い良い帰りは‥とか、良く言ったものであり
この段階で「また帰りに郡山付近まで南下してからじゃないと帰れない」のにウンザリ。
私的感覚では、ここから浪江までのR114は、楽しい道であり「本番」なんですけどね。

なので先日記事にした「新トンネル」の取材には行っておりません。
(ど~ぜグーグルで道の画像は見れる訳ですしねぇ。あとは「自分で走った」って言う実感のみだし)

で。3年ぶりのR114ですが、
R49号の谷田川付近のセブンイレブンから、三春~船引~東和~川俣の順で進んだのですが
(つか、東和町って消失したんでしょうか?道路看板に一切「東和町」の名前が出て来ませんでしたが‥)

大袈裟ですが、以前は良く通ったR114号に出て見慣れた道を通って「感動」しました。
(この付近に御住まいの方が聞いたら「何を言ってるんだ?こいつは?」なんて話ですが‥)

福島市内で片付け(引越し手伝い)を仕事の連休で済ませたあと
帰りのR114を走行中の道中で思ったのは「さぁ1つ済んだ!今度は我が家の引越しだ!」って感じで
済ませた清清しさと、これからに大しての気合で満ち溢れた帰り道でしたし
翌朝である3月11日の目覚めは爽快だった。

‥そんな記憶がR114の標識や全線ではなくとも川俣付近を走行してると蘇ってきて
そう‥言ってみたら「結構希望に満ち溢れてた」んですよね。震災前の前日。

そ~れが、何だ‥その「あの震災でブッ壊された」って感じ。

や、だからって金目当てで「東電が!」「原発が!」とか、そんな風に思ってる訳でも
続ける訳でもありませんよ。

↑この点に関しては、事故後の東電のグタグタさには参ってるけど
実際「あんな地震津波なんか想定外」なんだから、ある意味東電も可哀想とも思ってますし。