国道49号線旧道(いわき市 好間町~三和町境)
以前、年上の方(御客さん)から、目の前の道が国道49号線の旧道と聞いたり
実際、ネット上でも、この場所が旧道と言われてる部分…の分岐点について。
もっとも、この旧道が「現国道」だった頃は、国道49号線は、国道115号とか呼ばれてた頃かも知れません。
<引用開始>
1963年4月に二級国道115号から一級国道49号に昇格し、平市(現いわき市)から内郷市(現いわき市)の区間が国(当時建設省、現国土交通省)の直轄となる。
1966年には郡山市内と新潟県北蒲原郡水原町(現阿賀野市)から新潟市の区間も国の直轄となり(後に1971年には全線が指定区間となる)、東北地方建設局の磐城・郡山両国道工事事務所が福島県内を、北陸地方建設局の新潟国道工事事務所が新潟県内を担当し、改築事業に着手した
</引用終わり>
この49号線は郡山までの道は良く利用するのですが各地に旧道が点在しており
その詳細をwebで報告してる方が複数いらっしゃいますので、複数箇所の説明は省きます。
今回、報告するのは以前から謎であった「こんなヘアピンカーブが当時から存在したのか?」という場所。
いつも通る度に気になっていたのですが、この場所についての部分を解明されはおらず
~だろう。と言う感じでしか報告されておりません。(暫定)
印の場所が、その分岐点になります。
現在の道路は、この先に「谷」が存在しており栄一橋と言う谷に掛かる橋梁で、その谷を越えていますが
その谷を越える橋なんか建設できなかった頃からの道が、この旧道であり谷を避ける様に山側を進みます。
その道の入り口の模様。(車通りが多く撮影困難な場所なのでグーグルアースから転載)
旧道は画面右上に見える道です。
つまり、この画像の様な進行方向で郡山に向かいつつ、
画像上右に見える登り坂へ急角度で右に曲がっていた…かの様にしか考えられません。
この旧道入り口…実は郡山側から、いわきへ向かう…反対方向からは非常に良く見えます。
が、ここを登ると山の中(旧道)で、再び向きを西に変え…まぁ大雑把に言えば郡山へ戻る様になる訳です。
これは、その旧道入り口から現在の国道49号線を見た絵ですが
旧道なら、このままトラックの方へ向かうと考えるのが自然ですが、旧道が現役の頃は
この先に郡山方向へ到る道が(つまり上で書いた橋)が存在してないので「それは有り得ず」なので
ここを左へ180°も方向を変えて進んでいた…と考えざる得ません。
が…どうにも、ここにヘアピンカーブがあったとして昔の道幅であったにせよ
ちょっと狭すぎると思うんですよ。
画像で見えてる現国道の反対側にも~ちょっと面影があってもイイと思うのですが…
そう考えられる方も多くいて、実際道路向こうに見える
(木の間に隙間やガードレールの先に空間がありますよね?)
道の後らしい空間まで探索に入った方もいらっしゃるのですが
その先は昔から変わらないであろう田畑に出て、その先は谷と言う「道があったらしき跡」がない。
そこで昔は、どんな道だったんだろう?と興味を持った訳です。(まぁ謎の解明ですね。)
その謎を解明するのに、まずはココではなく、
現在でも存在する「旧道」と言うバス停がある場所から解明する必要があります。
位置。
赤で十字を付けた位置が、その旧道大利のバス停の位置です…が
この道自体が、旧道って雰囲気ではありません。
雰囲気的には十字の左側のT字路を画像下の方へ、そのまま向かってしまう方が
道のカーブ的に自然な位置ですよね?(それだけカーブが下に向かって自然にカーブしている。
ここも通る度に「旧道って?何を以ってして?」って不思議な所でした。
この謎については昭和50年代の、この場所の航空写真を見ると謎が解けました。
以前の道は下から来る道が、ここにT字路で合流していたのであり
後に大きく道路改良されて緩やかなカープで繋がれた訳です。
現在の国道は実際に走行してると気付きもしませんが
航空写真で見ると大きな堀割りの中を進んでいます。
これが旧道時代は土木技術が未熟だったため、そこを避けて、現在の旧道大利側へ迂回してた訳です。
(つか機械化する前の人手によるもので山を割るって発想がない頃)
さて前起きが長くなりました。上で書いた旧道が現在の新道に合流する地点(郡山側)
ここが今回の注目点です。
昭和20年代の、現在の国道が存在してない頃の航空写真を見てみましょう。
(前おきは、この位置関係が分からないと全然把握できない程に道が変化してるからでした。)
画像の赤い点が旧道大利のバス停の位置です。
画像が不鮮明で分かりづらいですが、山の形に特徴があるので覚えていてください。
国道が貫いてしまった事で特徴のある山の形状が分かり辛くなっていますが、現在はこんな感じ。
凄く大雑把ですが昭和20年頃の写真に現在の国道を書き入れてみました。
(水石山トンネル開通前の川沿いを進む道の頃のルート)
なるほど…で、本題の急カーブは現在の国道が新たに出来たから「それに取り付く道をして存在」してる訳で
そもそも、そこに道が無かったのだからヘアピンもない訳です。
現在の合流点は、あくまで「現在の国道に対して作ったもの」であり、以前の合流点は違ったと言う事で、つまり…
これが旧道の以前の合流点です。現在は家が建ってて全然気付きませんでした。
そう分かってから現地に赴いたのですが、この位置から山を見ると、道路の斜面らしきものが見えています。
航空写真で見ると今でも道があるか?の様に見えてますが、ここに電線が通ってるので
管理用に刈り込んである感じです。
(まぁ新トンネルが出来ても電線は旧道に残ったり、電線=旧道の確立は結構高いんですが…)
で、現場。
まぁweb上での画像確認だけで現地に行ってないんだろ?と思われそうなので以下で現地の画像なんぞをば。
こちら側からなら、まぁ仕事着きてなら、山に入っていっても「不審者には思われなさそう」な気もしましたが
今、山に入るのは危険な時期(火山とか熊ではないです。蜂です。)なので、
冬になってからの方がいいか?と思い現地を後にしました。
つまり現在の国道から、旧道へ登る一直線の道自体が後付けであり
どうりで直線が綺麗な訳です。(後の土木技術や工作機械の発達の賜物)
しかしまぁマカリナリにも以前は車が通ってた道なのに、この林道以下の雰囲気は何でしょうかね。
実際入ってみないと何ともいえませんが、この辺りは雪も滅多に降らないので道が廃止になったにしても
そんなに荒れ果てたりしないもんですが…そもそも砂利道時代に廃止になったのかなぁ。
(栄一橋の完成によって、ここが旧道となったとして昭和33年なんですよね。現時点で56年)
↓追記があります。↓
http://blogs.yahoo.co.jp/ookami_goya/63572348.html
実際、ネット上でも、この場所が旧道と言われてる部分…の分岐点について。
もっとも、この旧道が「現国道」だった頃は、国道49号線は、国道115号とか呼ばれてた頃かも知れません。
<引用開始>
1963年4月に二級国道115号から一級国道49号に昇格し、平市(現いわき市)から内郷市(現いわき市)の区間が国(当時建設省、現国土交通省)の直轄となる。
1966年には郡山市内と新潟県北蒲原郡水原町(現阿賀野市)から新潟市の区間も国の直轄となり(後に1971年には全線が指定区間となる)、東北地方建設局の磐城・郡山両国道工事事務所が福島県内を、北陸地方建設局の新潟国道工事事務所が新潟県内を担当し、改築事業に着手した
</引用終わり>
この49号線は郡山までの道は良く利用するのですが各地に旧道が点在しており
その詳細をwebで報告してる方が複数いらっしゃいますので、複数箇所の説明は省きます。
今回、報告するのは以前から謎であった「こんなヘアピンカーブが当時から存在したのか?」という場所。
いつも通る度に気になっていたのですが、この場所についての部分を解明されはおらず
~だろう。と言う感じでしか報告されておりません。(暫定)
印の場所が、その分岐点になります。
現在の道路は、この先に「谷」が存在しており栄一橋と言う谷に掛かる橋梁で、その谷を越えていますが
その谷を越える橋なんか建設できなかった頃からの道が、この旧道であり谷を避ける様に山側を進みます。
その道の入り口の模様。(車通りが多く撮影困難な場所なのでグーグルアースから転載)
旧道は画面右上に見える道です。
つまり、この画像の様な進行方向で郡山に向かいつつ、
画像上右に見える登り坂へ急角度で右に曲がっていた…かの様にしか考えられません。
この旧道入り口…実は郡山側から、いわきへ向かう…反対方向からは非常に良く見えます。
が、ここを登ると山の中(旧道)で、再び向きを西に変え…まぁ大雑把に言えば郡山へ戻る様になる訳です。
これは、その旧道入り口から現在の国道49号線を見た絵ですが
旧道なら、このままトラックの方へ向かうと考えるのが自然ですが、旧道が現役の頃は
この先に郡山方向へ到る道が(つまり上で書いた橋)が存在してないので「それは有り得ず」なので
ここを左へ180°も方向を変えて進んでいた…と考えざる得ません。
が…どうにも、ここにヘアピンカーブがあったとして昔の道幅であったにせよ
ちょっと狭すぎると思うんですよ。
画像で見えてる現国道の反対側にも~ちょっと面影があってもイイと思うのですが…
そう考えられる方も多くいて、実際道路向こうに見える
(木の間に隙間やガードレールの先に空間がありますよね?)
道の後らしい空間まで探索に入った方もいらっしゃるのですが
その先は昔から変わらないであろう田畑に出て、その先は谷と言う「道があったらしき跡」がない。
そこで昔は、どんな道だったんだろう?と興味を持った訳です。(まぁ謎の解明ですね。)
その謎を解明するのに、まずはココではなく、
現在でも存在する「旧道」と言うバス停がある場所から解明する必要があります。
位置。
航空写真。
この道自体が、旧道って雰囲気ではありません。
雰囲気的には十字の左側のT字路を画像下の方へ、そのまま向かってしまう方が
道のカーブ的に自然な位置ですよね?(それだけカーブが下に向かって自然にカーブしている。
ここも通る度に「旧道って?何を以ってして?」って不思議な所でした。
この謎については昭和50年代の、この場所の航空写真を見ると謎が解けました。
以前の道は下から来る道が、ここにT字路で合流していたのであり
後に大きく道路改良されて緩やかなカープで繋がれた訳です。
現在の国道は実際に走行してると気付きもしませんが
航空写真で見ると大きな堀割りの中を進んでいます。
これが旧道時代は土木技術が未熟だったため、そこを避けて、現在の旧道大利側へ迂回してた訳です。
(つか機械化する前の人手によるもので山を割るって発想がない頃)
さて前起きが長くなりました。上で書いた旧道が現在の新道に合流する地点(郡山側)
ここが今回の注目点です。
昭和20年代の、現在の国道が存在してない頃の航空写真を見てみましょう。
(前おきは、この位置関係が分からないと全然把握できない程に道が変化してるからでした。)
画像の赤い点が旧道大利のバス停の位置です。
画像が不鮮明で分かりづらいですが、山の形に特徴があるので覚えていてください。
国道が貫いてしまった事で特徴のある山の形状が分かり辛くなっていますが、現在はこんな感じ。
凄く大雑把ですが昭和20年頃の写真に現在の国道を書き入れてみました。
(水石山トンネル開通前の川沿いを進む道の頃のルート)
なるほど…で、本題の急カーブは現在の国道が新たに出来たから「それに取り付く道をして存在」してる訳で
そもそも、そこに道が無かったのだからヘアピンもない訳です。
現在の合流点は、あくまで「現在の国道に対して作ったもの」であり、以前の合流点は違ったと言う事で、つまり…
これが旧道の以前の合流点です。現在は家が建ってて全然気付きませんでした。
そう分かってから現地に赴いたのですが、この位置から山を見ると、道路の斜面らしきものが見えています。
今まで気付きもしませんでしたが、あれが旧道かも知れません。
しっかしまぁ地図にも道として現在では記載ないし
人家があるので容易には近づけません。この手前のウチに仕事で行く機会でもあればなぁ…
そして、上に見えてる道が旧道に合流する地点がコチラ。
しっかしまぁ地図にも道として現在では記載ないし
人家があるので容易には近づけません。この手前のウチに仕事で行く機会でもあればなぁ…
そして、上に見えてる道が旧道に合流する地点がコチラ。
航空写真で見ると今でも道があるか?の様に見えてますが、ここに電線が通ってるので
管理用に刈り込んである感じです。
(まぁ新トンネルが出来ても電線は旧道に残ったり、電線=旧道の確立は結構高いんですが…)
で、現場。
まぁweb上での画像確認だけで現地に行ってないんだろ?と思われそうなので以下で現地の画像なんぞをば。
こちら側からなら、まぁ仕事着きてなら、山に入っていっても「不審者には思われなさそう」な気もしましたが
今、山に入るのは危険な時期(火山とか熊ではないです。蜂です。)なので、
冬になってからの方がいいか?と思い現地を後にしました。
つまり現在の国道から、旧道へ登る一直線の道自体が後付けであり
どうりで直線が綺麗な訳です。(後の土木技術や工作機械の発達の賜物)
しかしまぁマカリナリにも以前は車が通ってた道なのに、この林道以下の雰囲気は何でしょうかね。
実際入ってみないと何ともいえませんが、この辺りは雪も滅多に降らないので道が廃止になったにしても
そんなに荒れ果てたりしないもんですが…そもそも砂利道時代に廃止になったのかなぁ。
(栄一橋の完成によって、ここが旧道となったとして昭和33年なんですよね。現時点で56年)
↓追記があります。↓
http://blogs.yahoo.co.jp/ookami_goya/63572348.html