常磐共同火力 勿来発電所 専用線の跡

以前ココで書いたか?書いてないか?忘れたけれども、以前から興味のあった物件です。
って言ってもネットで検索を掛けても鉄道線が存在してた事すら、イマイチHitしない。
なにせ昭和の頃の航空写真を年次で見比べると昭和50年代半ばには、すでに廃線になってるぽいです。

以前から興味があったのは発電所側ではありません。
発電所の敷地は鉄道廃止後に大幅に改装(増設)されたりして跡形も無い感じですからね。

興味があったのはココ。常磐線との分岐点です。

この辺りに、火力発電所へと向かう分岐の側線があるのは昭和40年代の航空写真で確認出来ます。
現在でも上の地図を航空写真に切り替えると、線路の右側に不自然な空き地があるのがわかるかと思います。

この付近の昭和50年代初頭の頃の航空写真がコレです。
イメージ 1
本当は該当の線路部分のupだけの方が「ここ」です。って判りやすいのですが
それでは線路の全容がわからないので、まずは全体図です。
常磐線との分岐点って言ってるのは画像の左上の箇所。

イメージ 2
線路の上に見えてる梯子みたいなモノは、電車へ電気を送る架線の柱です。
駅と駅の間ですから、複線なら線路の上下線分があれば足りるのに、この部分だけ異常に幅が広い
って事が判ってもらえたら、それでOKです。

んで、この広大な側線の跡地‥まぁ土地がバカ上がりしてる昨今の当市なので
いつ消えるかも判らないので、今の跡が残ってるウチに見てみたいな‥と思いつつも
この辺りに仕事で縁が無い。(つか人家も非常に少ない。)

線路の左側は県道が通っており、仕事でよく通るのですが、線路の右側に側線跡がある訳で
左の県道から見る分には、普通の常磐線の線路しか見えませんからね。

んで、そんなこんなで数年過ぎたのですが、
やっと本日、右側に仕事で用があり、初めて通行する事となりました。
イメージ 3
仕事中なので走行中でありテキトー撮影ですが、良かったら‥どうぞ。
(正直、グーグルアースの方が画質もいいし綺麗だと思います。まずまぁ‥この記事で興味でも持ってくれる人が居れば(^^;)

イメージ 4
道路右側に並んでる木の棒の部分が側線跡です。木の棒は枕木転用かも。

イメージ 5
上の画像でも気になった方も居るかも知れませんが、この鉄の柵が撒いてある柱が
まさに上の昭和50年代に架線柱として写ってる「それ」だと思います。
万が一、車が当たっても折れたり曲がったりしない様に万全の策?を講じていたのでしょうね。

もっと古い時代のよりはデザイン性もなく無骨なだけであり
現代では、もっとこう人が当たっても怪我しない様に‥とか、周りの景観を考えたデザインになる筈です。

でも、これもこれで「昭和」ぽさが凄く出てて、ちょっと鉱山に通じるものがあって
現代に存在する‥って意味では、ここだけ、ちょっと独特の空気があってアリな気がしました。

さて、火力発電ですから大量の化石エネルギーを消費して電気を作る訳ですから
それを運んでた鉄道の始発点は?って言うと、炭鉱があった頃は「内郷」だったり「湯本」であり。
その後、安い外材の石炭が入ってくると‥小名浜港に荷揚げされ、それを鉄道で運んだ訳です。

以前は、その石炭が荷揚げされてる埠頭に線路が繋がっていて、昭和の頃までは残っていたかな。
(福島臨海鉄道の支線です。当時は東邦亜鉛専用線やら、コンテナばかり運んでた訳ではない。)

で、転機があったのは、上の昭和50年代の航空写真で発電所脇に建設が始まってる
国道6号線「常磐バイパス」です。

道路の開通で、トラック輸送に切り替えた訳ですね。
現在でも発電所が稼動してるので当然燃料が必要な訳ですが昼間であらば
専用のトラックがピストン輸送で港から石炭を運んでる姿を見る事が出来ます。

そして、そのトラックの会社名前が
鉄道と繋がりが深い日通系だったり、福島臨海鉄道と名前の入ったトラックだったりします。

そして、その運んでる区間には、ちょっとした峠の区間があるのですが
その区間常磐バイパスの中で1番先に4車線化されました。

多分これもトラックの通行量が必ず多って前提で登坂車線代わりに
さっさと4車線化してしまえ‥って感じだったんでしょうね。
(お陰で私の友人は免許取り立てでネズミ捕りの犠牲になってますがww)