根府川


遠く離れた神奈川の…それも僻地の南限近くの地名を、なんで知ってるか?って言うか?と言うと…
鉄道写真を撮影するのは興味が無いのですが車窓の景色が好きで鉄道でフラッと出かけたりします。

東海道本線根府川駅が、あるのですが、1度くらいは東海道線に乗ってみたいとフラっと出かけたのですが
(つかフラっとの距離でもなく始発に乗って出て帰りは終電で1日乗り放しの鈍行移動ですけど。笑)
その東海道線も神奈川県の栄えてる地区を抜けると、いよいよ海側を通る様になります。
そして素晴らしい景色の駅だ…と思ったのが根府川駅だったのですが…
イメージ 5
(画像は他者様のページより無断で…すみません。)

が…上に書いた通り、1日で帰るには降りる訳にも行かず、
そのまま沼津まで行って御殿場線で折り返して帰る計画なので、そんなこんなでした。

帰ってきてから根府川駅について調べると関東大震災で線路が崩れて
客車が海に転落して死傷者を出したとか言う歴史がある駅である事が分かりました。

かつ、良く鉄道写真で山間の鉄橋を渡る写真やテレビドラマで見るシーンは
この先の鉄橋で撮影されたものである事を、後から知りました。

私が行った当時は暴風壁は無かったのですが、その後の秋田だか?岩手だか?青森で
鉄橋を渡る特急が徐行運転で走行してたのにも関わらず強風に煽られて鉄橋下に落下した事故を受けて
各地の鉄橋で暴風壁が付けられる様になって、根府川橋梁も例に漏れず、壁がついて…
撮影名所では、現在は無くなったのかも?しれませんが…まぁ概要は、そんな所で。

で昨日、別件で検索をしていたら、たまたまHItした画像が下に紹介するものです。
(無断引用です。申し訳ありません。)
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年は昭和39年との事。(1964年)
新幹線の事は、興味がないので、全然知識がないのですが、新幹線開業前だと思います。
新幹線が開業した後だと、画像の特急は、東海道線からは姿を消してるはずですので。
(上越線で使う様になって東海道線は走らなくなった。)

で、私が注目したのが鉄橋の橋脚の脇にポツっと写ってる一件の家。
皆さん、ご存知か?と思いますが鉄道が鉄橋を渡ると凄い音を立てます。
まして大動脈の東海道線ですから、それが1時間に1回なんて言う田舎の割合ではなく
下手したら10分に1回?5分に1回かも知れません。(複線ですから上下線ある。)

よく、そんな所に住んでるもんだなぁ…と思いました。
あと洗濯物?らしきものを見ると、家の大きさに割には住んでる人数が多そうです。
(昭和3~40年代頃は、普通だったのかもしれません。)

と言うか、この頃の列車のトイレって今では信じ難いですが「垂れ流し」なんです。
タンクがないから、地面(線路の砂利)が、トイレから見える。

これは、この頃に限らず自分が知る限り昭和50年代頃は、相変わらずで
地面の砂利が見えるのは目視した記憶があります。

つまり…上から何だ…その降り注いでるのに洗濯物を干してる状態です。
これだけの高さがあれば、それこそ広範囲に広がるので、その上にあるウチも他人事ではなかったと思います。

でも、そこには確かに家庭があって、暮らしがあって…だったんだなぁ…とか
何か、こう考え深いものがありますね。

さて、興味が湧いたので、現在をグーグルマップで見てみました。
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おお!残ってるじゃないですか…(人が住んでる気配はないですか…)

イメージ 3
以前は玄関だったであろう場所は草が生えないもんなんでしょうね。

イメージ 4
右側の青い部分の窓はサッシなので後年窓が付けられた部分かと思います。
逆に庇の部分は窓や戸をトタンで塞いだらしく庇の支柱の付け根はトタンの中にあって見えません。
上のトタンは樹脂ではなく、まさにトタンなのですが昭和30年代に樹脂の波板はないでしょうから
この錆具合からして当時もの?かもしれません。
(や…昭和30年代から現在まで持つ訳ないから更新した後かもですが…)

と言う事で、上で鉄道の話を書きましたが記事の本題は建物なので、カテゴリは鉄道には致しませんでした。
あ…そうそう。
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電車の下の線路の両脇に落ちてる紙…言うに及ばずです。
この後、私が生まれる頃や昭和50年代になると、
常磐線では「土浦~上野間、停車中トイレ使用禁止」なんて表示が室内にされたりしてました。(^^;