南相馬市博物館/旧・野馬追の里原町市立博物館

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のっけ‥から何ですが、本日行ってきました。
画像は、以前まだ「原町」だった頃に他の方のページで、
上の画像を見て「1度行ってみたい」と思った画像(展示物の1つ)です。

「平」駅は、もうないですが(名前が「いわき」に変わった)
上野発、原町行きは、実は「そんなに遠い過去」の話でもなく10年前まで存在してました。
(415系の基本7両が通しで、途中勝田で付属編成の4両だか?8両切り離し/当時は原町まで行く415系は珍しく1日2往復くらい)

上野初での福島県を走行する各駅停車最終電車(あくまで福島県内)でもあり
良く乗った事があります。上野を出る時に座った席で地元北側まで同じ席で行けるってのは
ちょっとした感動って言うか遠慮なく寝れました。笑

以下、鉄道には無関係になります。文章を書いて先入観を植えるのはやめて画像だけにしておきます。
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私の手を綺麗な手だと言って下さる姫様も居ない手(ラピュタ)を晒したくもないので
撮影に困りましたが、同行の「あじさん」が持ってくれたので、撮影が叶いました。

やっぱ手に年齢が出ますね。手が若い。
そう‥あじさん位の頃までは、自分の手に年齢が出るなんて全然分かりませんでしたが‥

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車も1台だけは展示してあります。オーナーカーではなく展示物な訳でジロジロと正々堂々ジックリ見れました。
床も綺麗なので、車好きならお約束?の「下回り覗き込み」を試みた所、操舵(ハンドル)の動きを伝える
タイロッドやら、ギアボックスが前輪より前に集中してる事に違和感を感じました。
(普通ならエンジンが鎮座してるので、それが邪魔で前輪より後方になるのが当たり前)
↑その画像はないにしても、画像を良く見てください。

幼児の「遊び車」じゃあるまいし、運転席と前ガラスの距離が「あまりにも近い」のが分かるでしょうか?
実はエンジンは後方であり、運転席に座った人の足は前輪付近までの空洞に納まる事になります。
いってみたら「バルクヘッド?」って言うのかな?通常の車で言う室内とエンジンルームの隔壁がない訳です。

あと画像はありませんが博物館外には「C50」型機関車が野外展示されています。
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‥文章だけで説明するのも、なんか難しいので他所様から画像を無断でお借りします。

私は蒸気機関車世代ではありません。どっちか?って言うと電気機関車世代であり
新幹線同様に?蒸気機関車は詳しくありません。‥って事を分かって頂いた上で
C50について、調べもしないで、見たまんまのイメージで書きます。
(調べてから書いたんじゃ、それ自分の率直な意見ではないので。)

蒸気機関車世代ではないですが「D51」とかは、結構アチコチで展示されてるし
写真でも良くみるので「馴染みある機関車」ですが、それと比べると設計が古ぽい気がします。

動輪がD51みたいな形状ではなく、スポーク動輪のせいもありますが
詳しくないので、スポーク動輪の最終形式である「C51」かと思いました。
(↑後から調べてC55でした。誤)

ただC51はC57の前期型とかベースと言われる機関車ですから、
(↑上と同じくC55と勘違い)
キャビン(運転室)の大きさが、それより大きい(広い)と思いました。

それから内部にも立ち入れるので、キャビンの中を見ると「D51より古臭い」と感じました。
形式プレートが付いてないので、形式は脇にある案内板を見て初めて「C50」と分かりました。

D型(動輪4輪・貨物機関車)であるD51を見慣れてると、C型(動輪3輪・旅客機関車)の車輪の
それゃ~デカイのなんのって。(D51のでも十分でかいですけど。)

あと、スポーク車輪は、ひょっとすると初めて実物を見ましたが、これが現世に残ってるってのは凄いです。
(確か戦前型機関車しか、この形式じゃなかった気がします。)

キャビンの広さですが、やはりD51より広く、機関士や助手には、かえって評判が良かったんじゃないかな?
なんて気が、しないでもありませんでした。

‥まぁ蒸気機関車は詳しくないです。なので的外れかもですが、そんなのどうでもいいです。
実物を見て触って、乗り込んでみる事に意義がある‥みたいな。

ま、そんな感じです。興味があったら近くに行った際には是非。