楢葉の「ジイ杉・バァ杉」
昨日今日と仕事が連休で、ありましたが、どうも連休前日から「肩が痛い」と言うヲチ。
連休2日目の朝になっても、肩の痛みは変わらないので‥ロキソニンを薬局に求めに出た足で
そのまま双葉郡の楢葉町へ‥
木戸ダムがある場所の少し手前の辺りに、題名の杉が存在しているのですが
その直下の近隣集落に「女平」と言う場所があります。
ここに高校の同級生の友人が、かつて住んでおり‥
その友人の、お父さんは、私が20代の頃に亡くなってしまい葬式にも参列ました。
今回は、思いつきでの訪問なので、何も持たず手を合わせるだけとなりましたが
亡くなった歳が56歳‥もっと若くて、今の私位の年齢と思っておりましたが、もうちょっと上だったのね。
話が逸れてしまいましたが、私が高校生の頃は、良く遊びに行きました。
田舎モノではある私が、こんな事を言うのは失礼ですが、その田舎でも
それなりの地方都市で育った私には、この「山間の集落」は、当時衝撃だった。(良い意味で)
ほんと、都会的な意味では、ほんと何もない所だったけど、全てが新鮮でした。
そして、そんな頃に、遡るのですが、暇を持て余した友人と私は
それなら、滝があるから、そこに行こう!と、えっちらおっちら‥と
そこに向かったのでありました。
(まぁ今だから言うけど30年近く前、友人の無免許運転の車で。笑)
その頃は木戸ダムの建設は、まだ始っておらず、今の道とは比べ物にならない
まさに林道であって、当然「未舗装」でした‥ので、今より数倍着くまでに時間を要しました。
そして、その後ダム建設が始って、その付近には立ち入る事が出来なくなり‥
その後の原発事故‥今回、ナンダカンダでここに降り立ったのは30年ぶりと言う事になります。
以前砂利道の林道だった頃は、ここに駐車場なんかなくて、道端に車を寄せる場所があった程度の記憶ですが
今は立派な駐車場とトイレが完備されています。(※施錠されてて使えません。なんだそりゃ。)
この看板は上で書いた、私が初めてココに来た当時から、あったぽいですね。
記憶には無いですが落書きから推測するに間違いなさそうです。
と言うか、ダム工事が始ってから時代に取り残されたみたいな風になってしまったらしく
平成に入ってからの落書きが無い?気がします。
しっかしまぁ4月29日が天皇誕生日とか、アイアイ傘とか、まさに昭和ですね。
そして書かれてる名前にも、時代が出ています。(まぁ私前後世代の名前ですね。)
まさか昭和が終わるとも、そしてまさかまさか、あんな震災があるとも
ここに、これを書いた人は、想像だにしなかったでしょうけれど。
さぁ、それでは30年ぶりに下ってみましょうかねぃ。
早速ですが、到着。
当時から加齢すること齢30年‥当時より「キツ」く感じるか?と思ったけど
案外当時程ではなかった‥のが正直な所、多分後年、道が整備されたのかも知れません。
当時は石がゴツゴツしていて、下りであるくのにかなり気を使った気がしますが
今は、きちんと階段が整備されてましたし。
上手く映せてませんが、かなりの巨木です。
さて‥じゃ夏休み飛び込んだ滝へと‥
画像じゃ、その高さを上手く伝えられませんが‥これが目に入った瞬間
「マジかよ。俺、あんな所から飛び込んだのか?」って‥(・∀・;)目を疑いましたよ。
ダムが出来て水位が減ってる風でもない?し、確かに来て見て「こんなだった」のを思い出しましたが‥
若いって、怖いもの知らずと言うかバカって言うか‥何だその。
まぁ怪我しても治り早いですからねぇ‥今同じ怪我をしたら、生涯障害が残る様な怪我でも
ケロッと治ってたし。(^^;
ここで怪我したって訳ではありませんよ。ただ「アブ」を必要以上に大嫌いになったのは
ここでアブに刺されたのがトラウマになってるのは事実で
「蚊」程度のもの?かと思って、スボンの裾を捲くったままで、ここで友人と火を起こして食事してたのですが
釣った魚を食ってたら(私は食べてません。持参したお菓子ね。んで案の定友人は腹壊してましたけど。笑)
その際に「アブ」に結構刺されたんですよね。家に帰るまでは若干痒い程度でしたが
それから1週間、物凄い痒みにホント参りました。痒くて掻きすぎて血まで出てるのに
それでも痒いんですもん。そんなのが1週間ですよ。それゃトラウマにもなりますっての。
そして帰路へ‥
行きは良い良い帰りは「なんたら」下ったんだから当然登るけど‥この光景に絶句しました。
途中で休んだら、登るのがいやになるレベルなので、辛いけど必死に休まず上りました。
しかしまぁ‥登るのが分かってて下るとか、ちょっとキツイですよね。
山道を人生に例える言葉が、結構あると思います。
今、底だとして「(良い方に)登ってるから辛いんだ」と、底を感じてる人に対しての言葉ですから。
人生は確かに先の見えないもの‥だから、こんな風に見える事もない訳ですが
どうにも、ついついマイナス思考は自然に発生して、ポジティブを思うには考え込まないと難しい私。
この道を歩きつつ思ったのが、苦労して登った先に見える景色は
あとは下りしか見えないのではないか?とか、そもそも苦労して上り詰めたにしても
その頂点に着く頃、息も途切れ足はガクガク‥上から見てる景色を「良い」と頂点にいても
そう思う事が自然には難しく、自分に「良いものだ」と言い聞かせないと思う事が難しいとか‥
結局、家に帰ってきて、撮影した「この画像」を見て、現地に居た時は気付かなかったけど
良く見たら、いい景色じゃん‥とか‥
これ人生も「過ぎ去って落ち着いてからじゃないと、そう思えない」ってのじゃ‥とかね。
‥人生とは?ね。ま、辞めときます。(^^;
連休2日目の朝になっても、肩の痛みは変わらないので‥ロキソニンを薬局に求めに出た足で
そのまま双葉郡の楢葉町へ‥
木戸ダムがある場所の少し手前の辺りに、題名の杉が存在しているのですが
その直下の近隣集落に「女平」と言う場所があります。
ここに高校の同級生の友人が、かつて住んでおり‥
その友人の、お父さんは、私が20代の頃に亡くなってしまい葬式にも参列ました。
今回は、思いつきでの訪問なので、何も持たず手を合わせるだけとなりましたが
亡くなった歳が56歳‥もっと若くて、今の私位の年齢と思っておりましたが、もうちょっと上だったのね。
話が逸れてしまいましたが、私が高校生の頃は、良く遊びに行きました。
田舎モノではある私が、こんな事を言うのは失礼ですが、その田舎でも
それなりの地方都市で育った私には、この「山間の集落」は、当時衝撃だった。(良い意味で)
ほんと、都会的な意味では、ほんと何もない所だったけど、全てが新鮮でした。
そして、そんな頃に、遡るのですが、暇を持て余した友人と私は
それなら、滝があるから、そこに行こう!と、えっちらおっちら‥と
そこに向かったのでありました。
(まぁ今だから言うけど30年近く前、友人の無免許運転の車で。笑)
その頃は木戸ダムの建設は、まだ始っておらず、今の道とは比べ物にならない
まさに林道であって、当然「未舗装」でした‥ので、今より数倍着くまでに時間を要しました。
そして、その後ダム建設が始って、その付近には立ち入る事が出来なくなり‥
その後の原発事故‥今回、ナンダカンダでここに降り立ったのは30年ぶりと言う事になります。
以前砂利道の林道だった頃は、ここに駐車場なんかなくて、道端に車を寄せる場所があった程度の記憶ですが
今は立派な駐車場とトイレが完備されています。(※施錠されてて使えません。なんだそりゃ。)
この看板は上で書いた、私が初めてココに来た当時から、あったぽいですね。
記憶には無いですが落書きから推測するに間違いなさそうです。
と言うか、ダム工事が始ってから時代に取り残されたみたいな風になってしまったらしく
平成に入ってからの落書きが無い?気がします。
しっかしまぁ4月29日が天皇誕生日とか、アイアイ傘とか、まさに昭和ですね。
そして書かれてる名前にも、時代が出ています。(まぁ私前後世代の名前ですね。)
まさか昭和が終わるとも、そしてまさかまさか、あんな震災があるとも
ここに、これを書いた人は、想像だにしなかったでしょうけれど。
さぁ、それでは30年ぶりに下ってみましょうかねぃ。
早速ですが、到着。
当時から加齢すること齢30年‥当時より「キツ」く感じるか?と思ったけど
案外当時程ではなかった‥のが正直な所、多分後年、道が整備されたのかも知れません。
当時は石がゴツゴツしていて、下りであるくのにかなり気を使った気がしますが
今は、きちんと階段が整備されてましたし。
上手く映せてませんが、かなりの巨木です。
さて‥じゃ夏休み飛び込んだ滝へと‥
画像じゃ、その高さを上手く伝えられませんが‥これが目に入った瞬間
「マジかよ。俺、あんな所から飛び込んだのか?」って‥(・∀・;)目を疑いましたよ。
ダムが出来て水位が減ってる風でもない?し、確かに来て見て「こんなだった」のを思い出しましたが‥
若いって、怖いもの知らずと言うかバカって言うか‥何だその。
まぁ怪我しても治り早いですからねぇ‥今同じ怪我をしたら、生涯障害が残る様な怪我でも
ケロッと治ってたし。(^^;
ここで怪我したって訳ではありませんよ。ただ「アブ」を必要以上に大嫌いになったのは
ここでアブに刺されたのがトラウマになってるのは事実で
「蚊」程度のもの?かと思って、スボンの裾を捲くったままで、ここで友人と火を起こして食事してたのですが
釣った魚を食ってたら(私は食べてません。持参したお菓子ね。んで案の定友人は腹壊してましたけど。笑)
その際に「アブ」に結構刺されたんですよね。家に帰るまでは若干痒い程度でしたが
それから1週間、物凄い痒みにホント参りました。痒くて掻きすぎて血まで出てるのに
それでも痒いんですもん。そんなのが1週間ですよ。それゃトラウマにもなりますっての。
そして帰路へ‥
行きは良い良い帰りは「なんたら」下ったんだから当然登るけど‥この光景に絶句しました。
途中で休んだら、登るのがいやになるレベルなので、辛いけど必死に休まず上りました。
しかしまぁ‥登るのが分かってて下るとか、ちょっとキツイですよね。
山道を人生に例える言葉が、結構あると思います。
今、底だとして「(良い方に)登ってるから辛いんだ」と、底を感じてる人に対しての言葉ですから。
人生は確かに先の見えないもの‥だから、こんな風に見える事もない訳ですが
どうにも、ついついマイナス思考は自然に発生して、ポジティブを思うには考え込まないと難しい私。
この道を歩きつつ思ったのが、苦労して登った先に見える景色は
あとは下りしか見えないのではないか?とか、そもそも苦労して上り詰めたにしても
その頂点に着く頃、息も途切れ足はガクガク‥上から見てる景色を「良い」と頂点にいても
そう思う事が自然には難しく、自分に「良いものだ」と言い聞かせないと思う事が難しいとか‥
結局、家に帰ってきて、撮影した「この画像」を見て、現地に居た時は気付かなかったけど
良く見たら、いい景色じゃん‥とか‥
これ人生も「過ぎ去って落ち着いてからじゃないと、そう思えない」ってのじゃ‥とかね。
‥人生とは?ね。ま、辞めときます。(^^;