フラフラおっさん。

本日は仕事が休みだったのですが、予定していた所に行く気も起きず‥
思いつきで、人の居ない場所に行く事に‥
(以下、ローカルな地名で話を進めるので地元の方じゃないとイマイチ分からないと思いますがお許しください)
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いわき市川前町小白井(オジロイ)です。風力発電の風車は震災前からのもの。
と言うか、空の色が色で上手く写せませんのでコントラストをイジっております。
‥っても見え辛いですね。

ここに展望スペースや休憩スペースがある訳でもなく、単なる道路ですが
ここに車を停めて、しばしマッタリ。‥や、その30分位居たのですが
山奥の集落で全く車が通りませんでした。

ここまで‥一応「いわき市」なので、仕事のエリアなのですが
広大な市の端の端で市街地から70km近くある場所です。
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これが本来のコントラストです。
いつも、この風景を仕事の移動で見てるのですが、仕事だから車を停めて見てる場合でもなく
こうして、じっくり眺めたのは実は初めてです。

さて‥この後の移動ですが、川内村双葉郡)に行った後、富岡町双葉郡)に
県道35号で降りようと思ったのですが
そのルートも実は仕事の移動で何度が通ってるので‥
(川内は仕事エリアじゃないですが楢葉から小白井に行く場合は、川内を通る)

そういえば友人が、国道288号で都路村(ミヤコジムラ/田村郡)から東進し大熊町に抜けられる‥
とか話してたので、(通行許可証なし一般通行)駄目元で通ってみるために
県道36号で小白井から川内村から国道399で都路村へ移動しました。

288だ399だ、県道36だ35だと馴染みがないと分かりづらいもんですよね。
最近、市内南側や茨城の道を「あじ」さんから道路番号で聞くのですが
番号でパッと道が思い浮かばない‥のは、北部になると、あじさんも同じ感じでしょうね。(^^;

以下、国道288号大熊町内の様子から
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大熊まで到るまでに山を延々下って行くのですが、下りきる辺りが
道路が古いままで、かなり怖い感じ‥と、思ってましたがトンネルが出来ていて普通になってました。
これ‥震災後に作ったんですかね?良く分かりませんが‥

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連休中だってのに、連休中出歩く家族連れは避ける様な場所
除染作業、災害復旧作業、原発関連などの方々はカレンダー通りの休み。
そして、元々の住民は、流石に大熊だと、すでに諦めて他所に家を建てて定住してしまってる訳で
マジで誰も居ません。都路村から大熊まで‥いや、その後の富岡まで全然車に合いませんでした。
まじで、これは、どんなに過疎地や田舎でも、ありえない話で異様さを、日中に嫌って程に感じました。

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もう1本の大熊町内を一般通行できる国道6号は、それなりの通行量があって、
あちこち脇見をしながらフラフラなんか走行できない緊張を強いられますが
こっち側(国道288~県道35)は、周囲を良く観察しながら走行出来ますが‥

最近は熊本の災害で再び地震に注目?が集まっておりますが
上の画像の家‥震災後5年経つのに瓦が落ちたまま(養生もなし)
そんな家が、大熊には沢山あります。

楢葉町までは、ある程度痛んだ部分を養生したりしてるのが見れますが
富岡~(大熊)~双葉は、まさに地震の時の姿そのままで5年時が止まってる感じです。

ネットの記事なんかで「なにを大袈裟な」とか思ったりしてましたが
(楢葉辺りまではともかく)この辺りは、居様な風景に飲まれますね。マジで。

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やっと人が居た!と思ったら脇道に入らない様に警備してる人だし。

と言うか、何だその‥ココ(県道35号大熊町内)を走行したのは
震災前日の夕方に通った以来ですから「まさに私も5年ぶり」です。
↑この動画は震災前日の2011年3月10日のもの。
前は1ヶ月に1回は浪江まで通ってた馴染みのある道ですが‥何とも‥いやはや。ね。

次。富岡町内。
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信号が動いてたり、町の中を自由に動けるだけ大熊よりマシって程度で人は、やはり居ない。
ゴールデンウィークの町の景色とは思えない感じですよ。元旦?みたいな感じ?

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auのロゴは相変わらず旧ロゴのまま(当たり前か)
震災前、いわき市内のショップは込むし機種の在庫がないから‥って事で
ここで結構機種変更したんですよね。市外ですが馴染みのある場所だったり‥
(とにかく混んでるのが大嫌いな性格でして。)

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休日のショッピングタウンの光景じゃないですね。ってか駐車場に草が生えてるってのが‥
ちなみに友人は、ここで、あの地震に遭遇したそうです。

このショッピングタウンは、再開させるそうです。ただ。
建物は1度壊してから、新たに作る感じでしょうね。

ここの中の画像は海外のサイトで外国の方が写したのが少し前に出てましたけど
外は、意外に綺麗でも中が荒れ放題でした。とくに生物や食料品が傷んだ匂いは
取り除くのが難しいですからね。

常磐線/竜田富岡間踏切
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不通区間です。常磐線最長の金山トンネルの北側です。
上で踏切名を出さなかったのは、今‥常磐線には「十王駅」(旧川尻駅)があって紛らわしいからです。
十王駅が出来る前からココに十王踏切がありました。ってか上野起点で十王駅は200kないですし。

HDDの中に震災前(2009年)の線路が生きてる頃の、この踏切の画像があったので
それ‥と共に比較しつつ以下を紹介します。
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良く見ると4.5mの高さの線が少し垂れ下がってるのが分かるか?と思います。
後ろの青いシートは汚染土の集積したもの。

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2009年。同踏切にて。




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遮断機の棒は、震災の時に取り外したままですね。

すでに忘れられた小話かも知れませんが、あの強烈な揺れで、なぜか踏切が誤動作して
電車も来てないのに降りっぱなしになりました。なので一般の方が通るのに
折ったり外したり曲げたりした訳です。‥や罪はないですよ。

海の近くなのですが、そこに津波が来るのに一刻も早く山側へ避難するのに
誤動作で降りた踏切が邪魔だったんですから‥話には出てないけど踏切のお陰で
逃げ遅れた方だって中には居るんじゃないですかね。

で。多分熊本や大分でも、同じ事様に地震で降りっぱなしになったと思います。
(なんせ全国共通の国鉄時代のシステムですから。)

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ここ最近は、除草剤は撒かれてるぽいですが、車両は通れないので手撒きでしょうかね?
良く見ると、線路が先でヘロヘロになってるのが見えると思いますが震災後手付かずな訳です。
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2009年。同位置にて。
比べてみると架線柱も、震災後は結構狂ってますね。

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ヘロヘロな所まで歩いてみました。当然列車は通れない訳ですね。

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皮肉な事に踏切の道路交差部分だけは往年のレールの輝きって言う‥

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さきほどのヘロへロ側の反対側(竜田駅側)もレールは、やはり曲がってますね。
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2009年同位置。
左の笹が震災後は伸びてますが、これ放射線の影響じゃないですからね。笑
年月の経過だったり、周囲の人が手入れする余裕がないからだったりですから。


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富岡の南端のセブンイレブンが再開してたので、そこで食事。
って言うか富岡の水道、直ってるのかな?水だけ他所から持って来てるのか?分かりませんが
放射脳の方だと、水源地が汚染されてるのに、その水で‥とか、まぁた騒ぐんでしょうけどね。笑
そんな事を気にしてる方が精神をヤられて、そこから体を蝕まれる‥そんな確立の方が高いかと。

ってか、それで騒ぐなら、まず私の場合
「煙草を辞める」「夜更かし辞める」「短気な性格辞める」「マイナス思考を辞める」など、
先にヤる事が山積みな訳で。笑