ギリギリで余裕がない。

題名の件です。

色々な意味で(金銭的ではないです。)そう言う事が、ここ最近多い様な気がして‥
もっと備えて余裕を持ちたいと思って、実際行動もしてるのに、結果はギリギリだった‥

こんな事が数回あると「憂鬱」になったりしますよね。

余裕を持ちたいから頑張ってるのに結果が、それでギリギリなら
果たして頑張らなければ、それこそ「どうなってたのか分からない」って言う怖さ?危機感?
みたいなものを感じてしまうと、常に永遠に頑張り続けないと(普通にしてると)間に合わないのか?
って疑問みたいなものから焦燥感に繋がったりもしてる気がします。

上で「金銭的ではない」とは書いておりますが
この話は金銭的なモノに例えると説明が皆様に伝わり易いです。

「何か必要になりそうだから貯蓄する」

「ある程度溜まる(まぁコレで大丈夫だろうってくらい)」

「何かある訳でもなし、貯めクセが付いてるし、金を使う事もないので、さらに貯める」

「更にの額が、元の貯める予定の2倍とか1.5倍くらいまでに溜まる」

「ここで備えていた緊急出費事案が発生する」

「蓋を開けたら、元の貯めた額以上の、余裕分1.5倍から2倍の出費でギリギリ間に合った」

と、こんな感じです。
最初に貯めようと備えた以上を備えたのに、それでギリギリとか‥
じゃ最初に貯めたのじゃ「間に合わなかったじゃん」と、そこに焦点を合わせると
凄く憂鬱な気分になった挙句。

どんどん、今度間に合わなかったら大変だ!と
自分の余裕分を削ってまで貯めて、また何かあったら‥間に合わなかったら‥と
今度こそ余裕を持ちたいと、必死になり始める‥
(でも結果、まだギリギリだったりで無限の悪ループにハマって行く‥みたいな。)

分かり易いので「お金」の話を書きましたが‥う~ん。そうですね。
「日頃の備え」全体って事です。(乾電池とか食材とか、工具とか、体力とか、心の余裕とか?)

備えた上で、それを使っても余裕が残り安心したいから備えた分まで
結果、全てを使う事になってしまい。何も残らなかった時の
何と言うか、空になってしまった虚しさ?絶望感?悲しさ?もありますね。


正直、こんな事が続くと、そこに焦点があってると
ヤってる本人は苦痛以外なにものでもありません。

‥と、書いたら分かって頂けるでしょうか?
(いつも余裕綽々な方には伝わらないのかも知れませんが)


ここまで書いて「だから答えはコレです」ってのが無いんです。
どうにも、やっぱり答えがない。何で、こんな風にギリギリなんだろう?と
今後も思い悩む時が、時期があるのかもしれません。

ただ‥このまま↑で終わってしまったのでは悔し過ぎるので、ある事を思いついてみました。

「ギリギリでも何とか間に合ってるんだから、これはツイてないんじゃなくツイてるのではないか?」
って事。

中には間に合わなくて、結果「大損害」になってる方も大勢居る中、
自分は何とか間に合わせる事が出来た。これって、ひょっとしたら奇跡に近い凄い事なのではないか?と。

交通事故で例えてみます。
車を運転する方、いや、歩行だって、自転車だって、街の道路を歩いてるのも同様か‥
「自分が幾ら気を付けても、道路が自分専用でもない限り他人も道路は共有しています」
なので、幾ら自分が過剰にまで防衛的であっても、他人から危害を加えられる可能性がありますよね。

自分勝手、好き勝手に気分的に飛ばしたりとか、交通法規無視して好き勝手に走行したいのを押さえ
交通ルールを守って、何かあったら大変だと過剰に用心してる‥けど。

他者が居る以上。突然何かされて事故に至りそうになる可能性は避けられません。
そして、それだけ用心してるのに、そいつら(笑)が目の前に現れた時に
「用心故の急ブレーキで何とか間に合って当たらずに済んだ」と言う事に対して

私は「こんなに自分の欲求を我慢して用心して備えまでしてるのに、結局事故寸前かよ」って思ってる訳です。

でも実際事故った訳ではないので、そこで終われてる訳ですが
実際事故ったら‥を考えてないのかもしれませんね。

事故=保険で金で何とかなるとか軽く考えてるのかもしれませんが
自分が同乗者が‥一生治る事のない障害を追う可能性だって結構あります。

私の、この歳になれば「たかだか骨折」だって20代の頃の様に
「完全に元通り」とは行かず、何かしらの不自由な状態を一生背負う事になるし。

そんな骨折なら、まだマシって言う傷害もあります。
横転による脊髄損傷で一生半身不随。
頭部を打つ事で脳に損傷が及び高次傷害、言葉や記憶を失う、視力を失うなど、様々な症状。

用心の上に用心を重ねてたのに‥やっぱり何か起きて、ギリギリじゃねぇか!
ってのは、もっと余裕を持ちたかったのに、ふざけんな!ってのは、実は「えらい贅沢」なのかもしれません。

せいぜいハラハラドキドキ、車で言うならブレーキとタイヤが減ったとか気分が悪くなった。
(イライラとか、落ち込むとか)これで済んでるのは、実は「凄く幸運な事」に気付けない。
それこそが不幸なのかもしれません。

下手したら一生身体が不自由になる事に比べたら、
一時のドキドキや落ち込みなんか、ほんとうに「ちっぽけ」な事ですもんね。

‥あ、そうそう。何でもカンでも他者のせいにする訳ではないですが
テレビや新聞の記事は「人が死亡する様なセンセーショナル」な内容が人の目を引くので報道されます。
所詮、見て読んで、注目を引いてナンボ(商売って言うか仕事なので)

警察も死亡事故数ばっかりを出す傾向があるのですが
(その後の傷害を追って追跡して発表するほど暇でもないから、分かるのですが)

実は死亡事故数の影で、一生治らない様な傷害を負って、現役から退いた方々が
その死亡事故数の何倍も居る事が、あまり触れられてない‥のも原因なのかもしれませんね。

交通事故の話になってしまいましたが‥ギリギリでも何とか間に合ってるウチは
「実は、それはすばらしい事」で、「それに感謝」しなきゃならない事なのかも知れないなぁ‥と
そんな風に、常に考える事が出来たなら、もっと自分は変るのかも知れない‥と
最近、そんな風にも考えたりしています。