30年ぶりに「常交坂」に自転車で挑む‥

カテゴリを本来は自転車かな‥とか思いつつ、自転車で行った話だけど
それに纏わる云々カンヌン‥なので「散歩」と言う事にします。
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って事で、自転車に再度乗り始めた頃から、気になっていた坂へと本日挑んできました。

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気になっていた=1度も登った事が無い坂ではなく、免許を取るまでは通学で毎日通ってました。
ちなみに、行きは下りで、帰りが登りって言う、最悪な感じ?と‥
マイナス思考の天才な私はパッと思うのですが‥坂を登って駅に到るとすれば
それこそ電車で汗だぐですからね。(当時は、たまにエアコンの無い電車もあったし。)

で、何で1年も経とうとする頃まで登りもしなかったか?って言うと
当時は15歳でしょ?体力的には「盛りに向かって右肩上がり」だった頃です。
当然、煙草なんか吸ってなかったし‥当時の様に登れなかったら、それゃ
当たり前かのかもしれないけど、やっぱガックリ来るでしょ?‥まぁそんなこんな
「つまんねぇ意地」みたいな?オッサンの屁のツッパリみたいなもんと言うか‥その何だ?(知るかw)

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で、結果なのですが、考えてた様に「登れねぇ~q(T▽Tq)」なんてのではなく
アッサリとは言わないけど、まぁまぁ普通に登る事が出来ました。
考えてた程じゃありません。「案ずるより産むが易し」ですね。(や男でコレってどうよ?産めないし。ですけど)

題名に「常交坂」と書いてますが、当時は
この坂の途中に、地元のバス会社である「常磐交通」の大きな車庫がありました。

その倉庫の出入りに自転車の登りで重なると徐行せずには居られませんし
逆に無理して急ぐ必要もあり、当時は「かなり焦らせれる坂」だったのですが
「兵どもの夢の跡」宜しくで、
今はバス倉庫は無くなってしまったので、そう言う「焦り」みたいなものは不要でした。

それと登ってる最中‥どうにも当時と違う違和感を感じてましたが(道路自体は変わってない)
歩道がバリアフリー化を受けて凸凹が取られて仕切りだけになってるので
(1段高い感じでクルマの出入りの箇所は下げてある昔風のアレ)
これもまた、当時よりは負担が少ないです。

登り初めてから、当時の記憶が蘇ってきた部分もあって
途中まで重いギアで立ち漕ぎして、途中から軽いギアにしてノロノロと登り〆るみたいな。
その切り替え点も、勝手に体が覚えてるので、何なくです。
(その切り替えを誤ると疲れ果てて登れなくなるんですよね。)

それゃ~30年も前とは言え、毎日の様に通ってた頃もあるから体が覚えてる訳ですが‥
ここで、もう1つ思い出しました。

自動二輪を取る前に原付を先に取ったのですが16になって1ヶ月後でした。
当然学校は免許禁止だったので親を説得する理由が必要だったのですがね。

親を説得する理由と言うより本気でマジメに「毎日、この坂が辛いから」と言う理由でした。
別に暴走したい訳でも、走りを極めたい訳でもなければ、女子の同級生を後ろに乗せたい訳でもなく
本当、「単に坂がキツイ」から。笑

原付の免許って、皆ナメて掛かるので、未成年で試験に来る者だと結構な確立で落ちます。
で、親も落ちるとフンて、「1度で免許取れなかったら、終わりね」とか、条件を出すもんなので
誕生日の2ヶ月前から、猛勉強しました。思えば、あれだけ勉強したのって、最初で最後でしたね。
あとの人生、テキトウマグレの体たらく‥ああっ。‥いいや。(これだよ。)

高校は3年間クラス換えもなく、同級生3人は、親友と呼べる程に、良く遊んでましたし
学校でメシを喰う時、煙草を吸う時(ぉぃw)登下校、修学旅行。ほんと皆に良くしてもらいましたが

この友人は実は「バイク仲間」でした。
免許を取る前までは、ロクに話もせずに、違う連中とツルんでました。
(もっとこうヤサグレ系の‥実は、あんまり自分には合ってないと思ってた連中)

この友人らが私を除く3人が、本当に格好良くってね。女の子に「しょっちゅう告白されてた」様なタイプ。
言ってみたら「女には不自由しない」タイプでした。

現在も付き合いのある友人(シダーって言うハンネでネット活動してますが)彼は
その同級生の親友だったり‥と、免許を取らなかったら、その付き合いもなかった。

あ、そうそう、その同級生の友人の紹介で付き合った相手が自分の初めての彼女ですね。

免許のお陰で、色々人生が変わったと思うし、あの頃に免許を取らなければ、また違った人生だったのは
間違いないと思うのですが‥

その免許を取ろうと思ったのが「この坂」な訳です。
‥そう考えると、この坂は、私の人生に多大な影響を与えてる訳ですね。(^^;

と言うか、私が免許を取ってから1~2年もしない頃に
ちょっと遠回りになるけど、この坂を避ける為なら、遠回りもやむなしと思える程の
坂を緩和する代名詞である「トンネル」が出来ました。

もし、高校に通い始めた頃に、もうトンネルがあったら「免許なんでワザワザ取らない」だろうし。
今の御時世なら、電動自転車もありますからね。
(と言うか携帯代とかに金が掛かるのでバイクに乗る余裕もないかもしれないし)

良く悪い出来事が起こった際に過去を振り返らない為に
「もし」「だったら」って考えるのは、お辞めなさいって名言がありますが‥

こう言う意味では「もし」「だったら」は、私にとっては「悪かったろうな」って意味しかありません。
過去があるから、今がある‥この辺りまでの私は、少なくとも「良かった」と思います。
違ってたら‥なんで、今でも考えたくもありません。

それは、当時は「結果が伴った」と思えてるから‥
ひょっとしたら今だって‥どこで、どう転がるか?は、まだ分からないのかも知れません。

さて‥忘れてましたが、16才まで乗ってたロードマンとの比較ですが
すでに30年の歳月が経過してるので、良く覚えてませんが
少なくとも登坂に関しては遜色ない気がします。

否‥今現時点での体力差を考えたら、今の自転車の方が性能はいいのかもしれません。
まぁ16才の頃なんか空気圧も気にせず、チェーンは錆々だったので何とも言えませんが‥

ただ直進安定性とか、速度が乗ってからの維持力は、圧倒的にロードマンが良かったです。
なにせ、その気になれば延々と手放し運転出来そうなくらい矢の様に真っ直ぐ走ったし‥

バイクに乗る様になって自転車を見限った‥訳では実は無いんですよ。
たまたまなのですが、それでも、たまに自転車通学してる時に
脇から信号無視で飛び出してきた、同じ歳くらいの学生と当って
フロントフォークが曲がってしまったんです。それがキッカケで自転車は終わってしまいました。