懐かしの鬼畜な歩道‥

1つ前に書いた記事の繋がりったら繋がりです。(つまり国道6号線の事)

‥長くなってしまうので、経緯を纏めるとですね。
前に書いた記事の通りで、今日も今後旧6号と化してしまう、今はまたホンモノの6号線を使って通勤しました。
前記事の通りで「今のウチに、国道6号の標識を画像に収めておきたい」との思いもあったのですが‥
「私の通勤で通る道中に6号のオニギリ標識がない」との結果‥q(T▽Tq)
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これはもう前もって外されてしまってるのかな?とも思って
(↑その他道路標識の支柱には、旧建設省の上に張られた国土交通省のステッカーの上に、さらに福島県と既に貼られてました。)

以前、震災前の海岸沿いの景色と現在の景色の比較の為に画像を御借りした
「ステージアと走れ」さんのサイトを再び拝見する事に致しました。
(以前、画像を御借りし転載する許可を得て、どこか?(ここか?)で記事にしました。)

そこを見て見ると、単に私の通るルートは以前から、ちょうど6号線の標識が無い場所であり
いつもより、ちょっとルートを変える必要がある事が判った次第で‥ほんと大変に参考になり感謝ですね。
(こんなブログ全盛時代を超え、もっとお気軽なツイッターだのの時代になってるのにHPを保持されてる事)

さて、そのステージアと走れさんのサイトの国道6号線の画像は
震災前なのは間違いないですが、景色からするに2008年頃かな?と思ったら2006年でした。

今回、標識の位置を調べる為に、海沿いではなく、そんなに代わり映えのしない
内陸の景色を、目を凝らしてみてみると‥「あ‥何か懐かしいな」と感じる部分もチラホラ。

2000年代の景色に「懐かしさ」を感じるとか‥こんな田舎でも変わるもんだなぁ‥とかシミジミ思いました。
(震災の地震で建物が内部的に全壊とか半壊になり、倒壊はしなくても壊されたり立て替えたものが結構多いですからね。)

長くなりましたが、そんな画像を見てる時に、ある場所の風景に目が留まりました。
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(画像は今回は無断で御借りしてます。大変申し訳ありません。そして感謝しております。)
「あ!鬼畜な歩道が写ってる」です。画像左側の歩道です。
右側は、まさに工事中ですが、両方が「こんな感じ」でした。

懐かしいと言うか、この歩道、何にもないのに、これだけ登らせて反対側で同じだけ下らせます。
クルマやバイクなら、「あっ」と言う間ですが、徒歩(老人)とか、自転車とか、これだけの勾配
鬼畜以外何者でもありませんよね。
(おまけに自転車で車道に逃げ出る程の隙間がないので逃げる事もままならない)

1度だけ、高校1年の頃の、まだ免許が取れなかった頃に(参9月生まれです。)
この先にある友人宅へ自転車で向かった事がありますが

見た目以上に、自転車で登ってみると強烈な坂で「何だこれゃ?嫌がらせか?」とか思った事を思い出しました。
(帰りは別の道を通ったのは言うまでもありません。)
何か意味がある登りならともかく、単に上ったかとおもえば、すぐに下り‥すごく労力の無駄でした。

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ちなみに現在は、こんな風になっております。いかに、あの登り下りが意味が無かったか?わかりますね。

工事は確か数年、車線規制をして歩道を平らにしてました。たかが歩道に対して結構大掛かりでしたね。

道路を作る時からなぜ?こんな風にしておかなかったのか?謎でありますが‥
当時の技術では、山に対して「ある程度の斜面」を作らないと崩れて成り立たなかった?のかも知れませんね。

たかが、これだけの工事でも掛かった日数や大掛かりさ(それこそ上の画像の右を見ると分かる)を考えると
たがが‥では済まず、言うなれば「たかが歩道にかなりの金を掛けて改修した」のが分かります。

この種アカシですが、高齢者の徒歩や自転車の為ではなく
一時期騒がれた「車椅子対応のバリアフリー化」です。
(今は電車とトイレとか、凄く広いし、コンビニは洋式化しましたよね。以前からファミマだけは洋式多かったですけど。)

ここに限らず、以前の歩道は、またファミコンの話しですが自転車で走ると
エキサイトバイクかよ?」ってくらい、登った下ったの繰り返しでしたが

(1984年って言うと私奴は小学6年ですね。真ん中のTEMPの意味なんか分かりもしませんでしたが、これ水温計だったのか。笑)

その頃から比べると、(決して自転車の為ではないですが)随分自転車でも走りやすくなったものです。
高校時代に毎日登った坂も、今は平坦になり、その頃からは変に力を削がれる事もなく
ある程度一定で登れる感じですもんね。

まぁそんなこんなの話でした。
(デジャブかもしれませんが、ここの事、なんか以前書いた気もします。2番煎じだったらすみません。ボケ)