もしもピアノが弾けたなら‥

西田敏行さんの曲の話ではなく、実際に‥って話ですが‥
西田さんの曲の歌詞と同じ様に思う時がありますが
歌詞の一節の、聞かせる相手の「君」は、自分以外の別な人間ではなく、
君は「自分」つまり、自分で弾いて自分に聞かせる意味合いで「思う事」があります。

以前書いたかも知れませんが、1度だけ‥こんな私ですがピアノ教室に行った事があります。
小学校にアガる前の頃ですから、年齢にして3~4歳。年代は昭和40年代後半でしょうか‥
その頃からピアノ教室(多分ヤマハの)が存在してたんですね。

祖父の思いつきによって、ある日突然にピアノ教室に連れて行かれ飛び込みみたいな感じです。
個別ではなく沢山の集団の中でしたのですが、突然の事で混乱して何が何だか?分からない感じで
それから、2度目はありませんでした。(多分向いてないと誰かが判断した訳ですね。笑)

その後、絵画教室みたいなのにも通わされたのですが、
ことごとく、うむ本当に何度も言いますが「ことごとく」
学生時代を終えるまで「楽器を弾く」とか「絵を描く」ってのが大嫌いになってしまいました。

爺ちゃん、婆ちゃんごめんよ‥別に恨んでる訳でもないけど
学校にアガる前に自発的ではなく強制されると、多分それが大人になるまで尾を引くのかも知れない。

いや、それ抜きに、そっち系の「表現系」は、自分の気質に合ってないのかも知れません。
いや、いや‥強制されて芽が出て伸びる気質の方も居るのかも知れませんが
我侭な私には、強制されると嫌でもなかったものが嫌いになるのは大人になっても相変わらずです。

随分話が逸れてしまいました。
祖父が無くなった後の、祖母がまだ生きてる頃に、そのピアノ教室の話になって
母だか?祖母から聞いた話なのですが、祖父が私をピアノ教室に通わせようとしたキッカケは
「戦時中の極限状態の中で聞いたピアノの音色」だそうです。

どっかの映画で聞いた事がある様な話ですが
実際、第二次大戦中に、実際にあった話な訳ですね。

戦争、戦地と言う極限状態の中で、ピアノの音色は、大きく心を揺さぶられる事になる事でしょうし。

別に今、私は戦時下でも戦地に居る訳でもないですが、時々
上の動画の様にピアノが弾けたらなぁ‥ものすごく気分転換になったり癒されるだろうなぁ‥と思います。
(弾けないからこそ、そんな風に思うのかもしれませんが‥)

今、自分で出来る気晴らしは「自転車」に乗る事くらい。
仕事帰りの公園で、夢中になってウィリーやらジャックナイフの練習なんかするのが
唯一の癒しかも知れません。


掲示板の返信。遅れに遅れ大変申し訳ありません。
職場で色々とゴタゴタがあって、どうにも楽しく返信出来る気分になれません。

‥ここでここまで文章を書けるなら、そんなの余裕だろ?と思うかも知れませんが
自分の思った事を、ただ単に、こうして綴るのとは違い、相手の方に返信するのは訳が違うものと思っております。


気長に待って頂けたら幸いです。