まさに「そそりたつ壁」

3月の震災の「地震」が道路に与えた影響でもっとも大きかった事例に

「道路の橋の前後」が大きな段差が出来た事が上げられます。

とにかく震災直後は「橋を見たら減速する」が鉄則でした。

これに関しては
・橋が上がったのか?
・前後の取り付け道が陥没したのか?
当初は分かりませんでした。

ですが地中に埋められた「マンホール」や「浄化槽」が浮き上がってる所を見ると
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橋も多分「橋桁が持ち上げられた」と考えるのが正解の様です。

この橋の段差については、今は主要国道については応急補修ではなく本補修を終えて綺麗になりました。
(それでも、やっと‥って感じで、ここ1~2ヶ月です。)

その前に中通りと呼ばれる「郡山」や「福島(市)」に行くと橋の段差は差ほどではなく

「なんだ‥道路は大した事無いじゃん」とは思いました。(それでも補修されてる箇所は結構ある。)

会津に到っては「そう、これが震災前の普通の道路だ!」って位い橋の段差はなく補修もした形跡がありません。

放射線と違い地震の影響は単純に震源から同心円状に考えて良い様です。

さて題名の「そそり立つ壁」ですが‥

実は311の震災の際にも大きな段差が出来て通行出来なくなった箇所が点在しましたが

411と412の震度6余震で、さらに橋が浮き上がり再度数日通行出来なくなった橋があります。

場所はココです。

これは411~412余震で再度通行止めになった際の補修作業の模様。
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橋の浮き上がり具合がよく分かる画像かと思われます。(まぁジムニーなら通れるレベルではある。)

問題は「反対側」なんですよ。震災前から「なんでココはこんな坂になってんだ?」なんて思ってはいましたが‥
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携帯のシャッター速度が遅くタイミングを逃してしまいましたが

本当はワインレットのエスティマの屋根が全部見える位に前に傾いてる様を撮影したかったんですよ。

それ位の傾斜が付いています。画像では、その雰囲気は分かりませんが「まさに壁」です。笑

橋の欄干の土台のコンクリートの浮き上がり加減やラインが引かれてない舗装の分だけ持ち上がってます。

謎を解く為に昭和53年頃の鹿島町の航空写真を見て見ましょう。
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現在の鹿島町の姿からすれば、想像すら出来ない程の田圃ばかりが一面に広がります。

鹿島街道は片側一車線、常磐バイパスに到っては道すらないので

「昭和の頃の鹿島」を知らない人には赤丸が付いてなければ「ぱっと見」分からないかもしれませんね。笑

まぁ私が高校生の頃までの鹿島って、こんなモンに毛が生えた程度で

平と小名浜を移動する為の通過点って感じです。確かに何もなかった。

あんなになったのは平成になってからです。

さて、結果ですが周りも回りで「元は水田だったから地盤が弱い」んですよね‥

この鹿島って場所は‥この橋に限らず震災後に住宅地で砂が噴出していたり、

震災前から地盤沈下が著しかったり(元ユニクロの建物とか)しましたから。