内郷市

ここは内郷地区の中でも相当奥(高野)の農家です。
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三和とか川前とかの農家の玄関に、こう言うのが残ってる事が多い。
(昔の電電公社の電話番号の楕円形の札とかXXXX-xx-OOOOの部分の「O」だけ書かれた奴。多分有人交換手時代の頃の物)

i以前ココで紹介したか?もしれないけど三菱農機具の何かも見た事があります。

さて題名の「内郷市」ですが‥先日の「平市」に続く発見です。
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この上には、今で言う国政調査みたいな物を市が行ってた頃の「調査済み」票がありました。

シリアル番号があるので撮影しませんでしたが、番号からでも調べる術は、もうないでしょうし

住民体系すら違ってるとはおもいます。まぁせいぜい「このお宅に行った物が、ココだったか」と分かる程度。

でも公開は控えます。その票にも「内郷市」の文字がありました。

左の真っ黒(茶色)なのは「戦没家族の家」って言う奴で、

こちら田舎では古民家で、もっと綺麗なのを結構見かけます。

どの札も釘で打ちつけられてるのに時代を感じますね。今の家では釘で打つって事すら出来ないですし。

住民調査(国政調査)済みも、数年前のはステッカーすら貼らなかった様な‥

と言うか、以前は調査員だか?区長さんが尋ねてきて書いたりしていたけど

一昨年だかのは、殆ど住民の自己申告任せであり、集めてる人も個人情報で中なんか確認してなかった。

国政調査‥あの災害を境に「どう変化したか?」を調べるには、災害前直前資料としては、とてもイイ時期でした。
(田舎なんぞ、都会と違い、そうそうに人口や人が動く物ではありませんから)

さて、話が反れてしまいましたが、内郷市の札の上のマークは旧内郷市のマークかもしれません。

なんか以前‥このマークを見た事があるんですよね。

内郷市(うちごうし)は、福島県に存在していた市。
1966年(昭和41年)に周辺市町村との合併によりいわき市となった。

福島県南東部(浜通り南部)に存在した市である。
常磐炭鉱により発展し、後年には炭鉱の衰退と共に住宅化が進行、隣接する平市のベッドタウンとして機能するようになった。

現在の地名では、いわき市内郷内町、内郷小島町、内郷白水町、内郷高坂町、内郷綴町、内郷御台境町、内郷御厩町、内郷宮町、内郷高野町の全域、明治団地、小島町、平成の各一部に相当する。

内郷村発足時に旧8村の名称と区域を継承した8大字が設置され、市制後に8大字は町となった。その後、1955年(昭和30年)に箕輪村大字高野を編入し、高野町としたことにより9町を数えた。

内町(大字内町)
小島町(大字小島)
白水町(大字白水)
高坂町(大字高坂)
綴町(大字綴)
御台境町(大字御台境)
御厩町(大字御厩)
宮町(大字宮)
高野町

内郷市は、1889年(明治22年)に磐前郡内町村、小島村、白水村、高坂村、綴村、御台境(みだいさかい)村、御厩(みまや)村、宮村の合併により、磐前郡内郷村として発足。

同時に旧村名はそれぞれ大字名として継承され、大字御厩に村役場を設置した。発足当時の人口は2,364人で、戸数は321戸。1896年(明治29年)には石城郡となり、1894年(明治27年)には磐城炭礦株式会社による内郷炭礦の買収により、同社が当村に進出。以降、内郷は磐城炭礦株式会社を中心とした常磐炭鉱の中心地となる。

1913年(大正2年)には豪雨によって120名の死者を出したほか、1927年(昭和2年)には町田坑で火災があり、134名の死者を出した

1942年(昭和17年)には町制施行し、内郷町となる。町制施行時の人口は28,593人、世帯数は5,788。1944年(昭和19年)には、それまで村の主要炭鉱会社であった磐城炭礦と入山採炭が合併し、常磐炭礦株式会社が設立される。1950年(昭和25年)には再度豪雨によって被害があり、10坑が浸水したほか、3坑が水没した。また、同年に磐城共立病院が創設される。

1954年(昭和29年)には市制施行し、内郷市となる。同時に内郷村発足時から続く大字は、元より「町」で終わる名称の大字内町を除き、新名称に「町」を付記する形で町となる。市制年の人口は39,751人、世帯数は8,232。また、市制に当たって市役所は綴町に設置し、1895年(明治28年)の入山採炭の創業などによって炭鉱関連の職業に従事者が増加していた箕輪村大字高野を1955年(昭和30年)に編入、同地域は高野町となる。市制1年後の1956年(昭和31年)には、常磐炭鉱関連の労働災害への対処のために福島労災病院を誘致することに成功したほか、市立の牛乳処理場の建設を行う。翌1957年(昭和32年)には松茸、紅鱒の栽培や養殖、輸出向け和紙製造の育成の補助などが開始され、釣堀や市営ヘルスセンターを開業する。また、市営ヘルスセンター設置にあたっては炭鉱で発生する廃棄温水を利用することによって実現された。1962年(昭和37年)になると、前年に発布された新産業都市建設促進法により「郡山・常磐新産業都市」の指定を受け、商工業者のベッドタウン的存在としての役割を担うようになり、公営住宅、住宅団地、工業団地などの計画が立てられた。1964年(昭和39年)にはそれらの計画が実施されるが、一方で、かつて市の主要産業であった炭鉱は内郷炭鉱のみとなっていた。

1966年(昭和41年)には平市、磐城市、常磐市、勿来市、石城郡小川町、遠野町、四倉町、川前村、田人村、好間村、三和村、双葉郡久之浜町、大久村と合併し、いわき市の一部となる。