J村のタコ部屋

本日は仕事で「某J村」に行ってきました。うち会社の中でも、将来を控えた若者(20歳代~35歳前)には、
こんな所には行って欲しくないので、私ら「終わってるオッサン」2人が、この仕事を引き受けました。笑

福島原発が事故を起こしてから、作業員の前線基地になっている所です。

一応指示書には「住所」が記載されていますが‥「震災後」初めて行く訳ですし
‥って言うか寮とか書かれていても
震災前の住宅地図には、「J村」と言う大きな施設1つでしか載ってない訳で‥探すのに一苦労しました。

動画冒頭、右の丘に見えるのは震災前からある雇用促進住宅(広野町)ですが
その手前に茶色い平屋が見えます。これ広野に作られてる仮設住宅です。

広野は原発避難の他、津波で家を失った方もいて役場が広野に戻った事により
建前的に「津波被災者の仮設」の建設が始まった模様です。

建前と言う理由ですが、現在広野町は避難指示から外され「住んでもいい町」となっておりますが
町の中を走行した限り‥ゴーストタウンと言っても過言ではないくらい人の気配がありません。

確かに震災前から人口の少ない町‥でしたが、でも人の生活はありました。
現在は、それが全くありません。(つまり去年の夏頃から、全く変化が無いって事。)

さて‥そんなこんなで、その寮を探すウチに震災後「初」の楢葉町入りもしました。
警戒区域指定後でも、普通に出入出来る「楢葉町」は、ここだけだと思います。
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(J村敷地内の楢葉のみ、建前では「立ち入り禁止」とは書いてあるが警備員が居ないので迷い込む可能性あり。)

さて広大な敷地の中に、とりあえず「緊急的に‥」なんて感じで前線基地になった様な報道ですが
(=元のサッカースタジアムに時期が着たら戻る的な感じで…)
現時点ではサッカーグラウンドの中に「タコ部屋」が立ち並ぶ威容な光景です。

部屋は一応、一人一部屋ですが‥トイレは共同、炊事場風呂無し、部屋の広さ四畳半に収納無しです。
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アディダスという看板がグラウンドを囲む様にある観客席の場所になります。
上に見える「蝿叩き」みたいなのはグラウンドの夜間照明。

私が見た所、芝生は剥がされ、グラウンドには砂利が入れられ基礎が打たれ‥
グラウンドだった面影は確かに残ってるけど、そこに作業員のタコ部屋が立ち並び戻すとか無さそうな気配。

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この「寮」と呼ばれる「タコ部屋」へ仕事に行ったのですが‥
それこそ「J村」の中に沢山点在していて探すのに一苦労しました。

この"アディダス"という看板の他には、スポーツに関係無さそうな「東京電力」とか「関電工」とか
そう言う看板の多さに唖然としました。(実ははJ村のグラウンドを見たのは初めて)

そう言う物(東京電力とか)は事故前から設置されてる物でしょうけど、
いわき市内では、ことごとく外されて、まるで隠れてるか?の様ですからね。
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そう言う物が1年も経とうとする今でも、ここには沢山当たり前の様に残っています。
あまり、こう言う言い方はしたくないけど、こう言うのが震災前から感じてた「双葉郡の違和感」って奴です。
(企業が町を牛耳ってる様な感じ。)

東電、関電工と名前を出しましたが、他ではお目にかかれない他も物も沢山点在しています。
東芝」(東芝プラントシステム)とか、東電環境とか日立の名前が入ったバスとかが普通に走行してますし
二つ沼公園は広野町の公園なのに企業(東芝プラント)の前線基地になっています。

これが地元で使う東北電力の施設であらば「発電所の町」ってイメージですし
地元生産、地元消費で違和感もないですが‥東北の福島の片田舎に
なぜかやたらに、東北では馴染みの無い東京電力や関連企業の名前が幅を利かせ文字や施設が躍る‥
震災前から違和感がありましたが…双葉郡では「相変わらずなんだな」って感じでした。

広野町は役場機能を、いわきから広野町へ戻しましたが‥私が広野町民だったとして
今の広野の雰囲気で戻りたいか?ったら、答えは「No」です。

町民が(全員戻ったにしても)あまりにも発電所絡みの人間が多すぎて(2倍どころではない)
まったく町の雰囲気が変わってしまってます。

所で、この寮と呼ばれるタコ部屋「寮費」と言う名で作業員から金を取っています。びっくりしましたよ。
放射線の恐怖にも関わらず復旧に挙手して来てくださってる方々から金を取ってるんですよ?信じられん。
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ちなみにJ村の到る所に「水の浄化装置」(クボタ製)が置かれています。
これは、去年の災害以降、楢葉町側の水道施設が現在も止まったままだから‥