過去の画像から分かった地震津波での道路破壊箇所の謎

以前ここで紹介した。
http://blogs.yahoo.co.jp/ookami_goya/61100741.html
新舞子海岸沿いの松並木の中を通る海岸通り(通称100km/h婆ぁ道とか。笑)の道路の被災の状況。

片側の車線が落ちてしまったりと散々な状況でしたが、最近やっと舗装され、元の姿に戻りつつあります。
イメージ 3
(画像は2010年/当然震災前の同区間
震災前は海の反対側に川が流れてるなんて思いもしなかった場所ですが

現在は隣に川が見えています。(松並木消失によって)

この海岸線の道路の状況ですが…ここが酷いだけで、

後の箇所はココまで(通行不可な程に)痛んだ場所は、ありませんでした。

では、何故ココだけこんなに道路が破壊されたんだろう?と疑問に思っていましたが…

この辺りに昭和20年代の航空写真を見て謎が解けたので報告します。

まず最初に被災前の1番最近であろう2009年の画像から…
イメージ 1
この頃は週に2~3度は帰宅の為に通っていた頃ですね。ピンクで○を付けた場所が道路が崩れた位置です。

で昭和20年頃の画像。
イメージ 2
川(夏井川と言います。)の位置は早々変わる物ではないので川の位置を参考に比べてください。
(同じ市内の川でも鮫川の中岡周辺は激変してるのでアテになりません。笑と言うか鮫川は相当イジってます。(^^;)

上の○で印を付けた位置の道路は、まだ存在していません。
○の下端の1本下の道の位置が、下の画像で言う「画像下側の田圃を左右に横断してる線(道)です。

どうですか…そう、この地震津波で損壊が激しかった道路は「元は夏井川の河口の1部」だった訳です。
その他の場所は、以前から松林だった訳ですが、ココだけは土盛りして土地を作り
夏井川河口に流れ込んでた別の水系を改修して道を作ったんですね。

この頃を知ってる世代の方だと「あそこは、ああなって当たり前だ」なんて簡単に想像出来たのでしょうけど
私には、この航空写真を見るまでは想定外でした。

地震で路面が崩れる弱さと、なぜ津波が夏井川に逆流した際に、この道路側に漏れたのか?
良くわかりました。