五能線、板置いた2人を書類送検

<引用開始>
 昨年11月、深浦町のJR五能線線路上に置かれたアルミ製渡し板に列車が衝突した事故で、鯵ケ沢署は2日、線路に板を置いた深浦町の農業男性(77)と中泊町の農業男性(71)を過失往来危険の疑いで、青森地検弘前支部書類送検した。

 書類送検容疑は、昨年11月16日、深浦町柳田のJR五能線で、近くの雑木林から薪材を取った帰り、踏切のない線路を軽トラックで渡ろうと、車輪幅に合わせてアルミ製の板(長さ約2メートル余、幅約60センチ)2枚を線路に渡したため、現場を通った弘前発深浦行き上り普通列車(乗客46人)と衝突、停止させた疑い。けが人はなかった。2人は親類同士。

 事故発生から1年近く経過した時点での書類送検について、同署は「JR、深浦町役場、地元住民など捜査対象が多いことに加え、やむを得ず板を使って渡っていた側面もあり、容疑名の適用に慎重を期した」としている。

 深浦町の男性は、取材に「書類送検について特に言うことはない」とした上で「(車で通行できるよう)4~11月は仮設踏切でも付けてもらえれば助かるのだが…」と話した。男性は今も歩いて線路を渡り、山に入っているという。

 板は、現場周辺の住民が費用を出し合って作り共用していた。現場山側の雑木林で薪材などを取っていた住民が近くに迂回(うかい)路がないため車で通る際、板を使って線路を渡っていた。同町は事故当時、崩落などで使用できなかった迂回路の林道を整備して今年10月上旬から通行可能としたが、線路を渡るのに比べると車でも40分程度余計にかかるという。地元の男性(80)は「迂回路は遠すぎる。今も住民は徒歩、木製の板などを使い線路を渡っている」と実情を話した。

 一方、JR秋田支社の広報担当者は取材に「踏切は現在、国が新設を認めない方向だ。(費用のかかる)高架橋、地下道設置については検討していない。地元の人には(線路を)横断しないようにしていただくしかない」と語った。損害賠償についてJRは書類送検された2人のうち、主導的な役割を果たしたとして深浦町の男性だけに請求。男性によると列車修復費などとして、約100万円をJRに支払うことで双方が合意しているという。
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JR五能線列車とアルミ製の渡し板が衝突した現場。
踏切はなく、現在も住民が雑木林(写真左方向)に入って薪材を取るため、
徒歩などで線路を往来している=2日、深浦町柳田

</引用終わり>

以前もココで書いた様な気がするが、現在ところの話ではなく
踏み切りの新設は昭和50年40年代頃には、すでに出来なくっていたと思います。

それは阿武隈急行(建設当時は国鉄東北本線のバイパス線・建設は建設公団)の
丸森~東福島信号場の区間は踏み切りが無いと聞いた事があります。
そして、その路線の建設が上に書いた年代だからであります。

そして、それよりも前の昭和30年代~40年代前半までに開通した路線には踏み切りがある。
そんな事から、踏み切りの新設が出来なくなった頃が見えて来る様な気がします。

で、引用をした本文の問題に戻りますが、記事を見ると迂回路がないんですよね。
車で40分ったら相当です。(確かに街中の整備された道路ではなく林道ですから距離は5~10km程かな?)

画像を見ると随分前から「道」としての機能は果たしていた雰囲気で
年寄りが運ぶ為のアルミ板ったら、線路脇にあった気もして
事故が起きるまで長年黙認されてた雰囲気満々ですね。

車で越える‥って雰囲気のは見た事がないけど
人が渡る様な感じのは磐越東線でも結構見る気もします。
(踏み切りじゃないけど年中人が往来して道になってる様な所)

そして「これら」は、毎日‥所ではなく「毎列車」が黙認してるに近いです。
鉄道の運転士は、それこそ、その路線のプロです。

運転士が持ってる鞄の中には「路線図」と言う物があって
線路の線形やらポイント、信号の場所、勾配、そして踏み切り場所や名前が載っていますし
そんな図を見なくとも全て暗記してるプロが、私設踏み切りを分からない筈がありませんから…

さて、黙認の理由ですが、鉄道ってのは明治大正にイッキに全国へ伸びたのですが
その敷設には、かなり強引さがあったらしき名残は今でも結構見る事が出来ます。

たとえば神社の参道をブッた切ってる感じで通ってる様な場所とか‥

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神社は鉄道敷設前から、そこにあった歴史ある物ですからね。
鉄道が後からですが、そんなのお構いない‥じゃなければ、
明治大正に、あんな風にイッキに全国にレールは延びなかった訳です。

鉄道が無かった時代は、豪農や大名等の金持ちでもない限りは
基本「自力による徒歩での移動」だった訳です。

何かの行事に参加された方でも無い限り「1日歩き通した」って方は少ないと思いますが
人間の歩く速度なんぞタカが知れています。(健康な大人の男性で歩き始めの時速は1桁)
まして荷物なんか抱えてたら速度は落ちます。(目的なく旅をするなんぞ、ありえない時代ですし)

それが鉄道の開通によって、人間が1日に移動出来る距離がイッキに広まった。
それこそ、目的もなく旅をする事も現実的になる訳です。

それこそ現代的な今で言う「携帯電話の普及」や「インターネットの普及」よりも
もっともっと夢が広がるのが「鉄道の使命」だった訳で、
当時は、その敷設の強引さも許された時代の流れだったろうし

それから、線路への立ち入りが、こんなに煩くなったのは、つい最近です。
(田舎での車が渡れる様な自設踏み切りは以前から良く事件は起きてました。)

鉄道敷設以降、こう言う問題は、あまり問題にされてなかった訳ですね。

そして自動車普及の時代になった頃、時を同じくして踏み切りが新設できなくなった。
このズレの部分から解決しない限り、この問題は今後も続くと思います。

そして最近、やけに線路内への立ち入りが厳しくなってもいますね。
(新幹線は別ですよ。でも最近は、まるで新幹線の線路に入った様な騒ぎになる異常ぷりですね。)

この踏み切り新設認めずの流れは、あくまで「都会主導」で進んでるのですが
確かに都会では理に適ってると思います。
(山手線なんてホームから出た電車の尻が見えてるウチに、上下どちらかから電車がやってくるし)

でも田舎の鉄道は、まったくの別物ですからね。
踏み切りの新設の件は土地柄や人口密度列車本数から、もっと臨機応変に認めるべきと思います。

所で「踏み切りの新設」が出来ないのに、近年「これは新規踏み切りだろ」って言う物が地元に出現しました。


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画像で周囲まで含めて見て頂くと分かるのですが、
踏み切り自体の場所が変わり接している道路も変更されています。

要は踏み切りの片側の道路が接している場所が変わらなければ
踏み切りの線路上の交差してる路面や、もう片側の接する場所が変わるのは新設ではない‥
なんて言う法的な屁理屈なんでしょうね。

屁理屈は通るのに実益実用価値は認められないとか、ほんと何って言うんでしょうか‥

ただ「屁理屈」の方のも認めてもらわないと「都市計画」が進まずに
鉄道は邪魔者以外なにものでもなくなってしまうので屁理屈が駄目といってる訳ではありません。

ちなみに常磐線は相馬~亘理間は先の震災で、相変わらず鉄路が絶たれています。
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何でも、この区間は山側に線路を移設するとの事なんですが

上に先に書いた通り「参道」さえもブッた切れた時代と今の時代では抱える問題が違い過ぎです。

たとえば、鉄道敷設以前の時代、そこは同じ町だったのに鉄道が横切ったお陰で
その後全く別の町(発展度)になった場所は数え切れませんよね?

それを知ってる現代の人間が‥それこそ踏み切りも認められないのに
新たな「鉄(道)の壁」を認めるとは思えないんですが‥

まして、その南側には「原発の壁」があり、首都圏に繋がってる訳でもないですし。

ですから私は常磐線の相馬~亘理間の復旧って絶望的な気がしてならないんですが‥
(それにもう田舎であればあるほど鉄道が主役の時代ではありませんからね。)
是非、地元の方の意見を伺ってみたいです。