アンサイ

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以前のGIFアニがボヨンボヨンしてるトレードロゴから‥
 
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茶色金?の固定ロゴに、いつの間にか変わってたんですね。
前は良くオフザケで読んでたのですが、今回ページを開いて真剣に?読んだのは震災以降初めてかも。
 
‥そこで、震災や、福島県やら、原発絡みの話なんかを関連リンクで追いつつ読みました。
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サイトの特性上「オフザケ」で書かれてる事が多いのは当然で、おふざけ故に、さぞかし
「むかっ」と来たり「悲しく」なったりする事が書かれてるんだろうな‥と
覚悟したのですが‥これがね。全くの逆方向って言うか「おふざけ」が非常に上手なんですよね。
 
確かに書いてある事は
冗談だったり事実無根だったり、何の信憑性があるソースからではない部分も含むんですが
ついつい「プッ」って噴出しながら読める内容でした。
特に当事者の人ほど「んなバカかな。w」とか「好き放題いってるわw」とか、読んで楽しめる気がします。
 
何って言うかな?真剣なサイトでは相変わらず色々な情報が錯綜していて
どれがホントか?ウソか?事実か?摸造か?なんて考えるだけで疲れてしまうし
疲れるほど真実を求めても「結果真実なんか分からず自分を苦しめるだけ」で終わる中‥で
 
このアンサイに書いてある事は
「考える事なく冗談で言ってしまえば、まぁ、こう言う事」なんて感じでスッキリします。
 
その中でも、今回読んだ中で1番良かった記事がコチラ↓
 
<引用開始>
震災疲れ
震災疲れ(しんさいづかれ)とは、一般的に大規模な地震災害に巻き込まれた際に感じる様々な精神的疲労感の総称である。この項目では、一般的な精神病に分類されない、ひでえ現実を中心とした疲れについて記載する。

目次

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概要

2011年に発生した東日本大震災の後、被災者が気づき始めた現実の中に、精神的な疲労を伴うもやもや感、いわゆるうつ病のような症状がある。しかし、うつ病とは違うため精神科に行っても門前払い。こういった症状の多くがいわゆる震災疲れというものに分類される。
こういった被災者の精神状況の推移は、過去の震災においても多く見られた症状であり、実は珍しいものではない。問題は、その感覚や経験が共有されないという事であり、対策がまったく取られないことなわけだけれど。

 内的要因

一般的に、大規模災害に巻き込まれると、人の脳には脳内麻薬が発生する。生命の危険や環境の変化といった出来事に対応するのために必須の話なのだけれど、いかんせん、余震というものがある以上、被災者の多くは脳内に麻薬を出しっぱなしで疲れなんて感じられないことがが多々ある。これが震災疲れ第一の原因になる。すなわち、疲れないことで休み方を忘れてしまい、生活が狂いに狂ったまま、ある日突然、脳内麻薬が切れる。その結果、考えられなくなり、動けなくなる。
また、震災を乗り越えた、自分偉い、レベルアップとかいうなんちゃって成長が感覚を蝕むことも多い。確かに大規模な災害を経験し、それを乗り越えることによって、成長したという事実があるのだけれど、大体において、周囲全員等しく成長。そのため、成長したのにまったく周囲が変わらないという「置いてきぼり感」がやってくる。そしていつの間にかレベルが下がる。生活の安定とともに、下がる。てゆうか、下げないといけなくなる。こういった常なる成長思考が、一たび現実の中で下落せざるをえなくなると、やはり精神的におかしくなるきっかけとなる。
さらにまだ原因がある。震災から時間が経つほど世間と自分達との世界が違うことに気づく。元の姿に戻ろうとする自分達と、こちらを忘れ始めている外の世界との差異には、恐ろしいほどの孤立感が詰め込まれている。無論、仕方ない話である。けれど、こういった現実は、ものすごく精神的に打ちのめされる。電話一つ、旅行やテレビ、さらには外部からの人材の受け入れといった当たり前な話の中に、なぜだか心が傷つくトゲが隠されていたりする。
こういった内的要因から来る震災疲れは、被災者を攻撃的にしたり引きこもりにしたり、果ては体調の変化を気づかせることなく、ある日突然、血管を詰まらせたり命を奪ったりもする。それぐらい、疲れが分からなくなることがある。しかし、それ以上に厄介なのは、被災者の心のブレに付けこんで来るヤカラが大勢いるということである。

外的要因

どこの世界でもいえる話であるのだけれど、大規模災害になればなるほど、カルト宗教が心のスキマを突いてくるという話が盛りだくさん。しかも、今回は放射能のオマケ付きだったため、なおさら精神的に厳しいなんて話もある。こういった話はどこぞの阪神大震災どころか、関東大震災のころからすでに一般的な話である。そもそも、被災地では上記のような内的要因を持っていない人間を探すことが難しい。そのため、東日本大震災後は、被災地でなくても信者が総動員されて布教活動にいそしんでいるなどというド外道な話がたくさんある。。
逆に言えば、こういうとき以外に信者を獲得できないんだから仕方がない。そのくせ、自分達の存在が被災者にとって精神的にきついことに彼らは絶対気づかない。気づくわけが、無い。

治療法

諦める

むしろ、

諦めろ

結局、自分が変わり自分の周囲も変わり続ける以上、元の生活になんて戻るかいなという話である。経験というものはそういうものである。いわゆる、ひと夏の経験の後で、元の自分に戻れるんならそっちのほうが怖い。しかも、震災というものは双方の同意がまったくないごく普通のレイプのような話である。台風豪雨といったわずかなりとも覚悟が出来る時間的余裕は無い中で蹂躙され、生活は破壊され、置いてきぼりにされる。
それを乗り越えて成長せざるをえなくなり生活を再建せざるを得なくなるのだから、或る意味、無体な話である。結局は、元には戻れないという諦観に立つのが一番手っ取り早い。もちろん、積み上げてきたものが大きければ大きいほどそれは難しい。よって、諦められぬと諦めるという、もう一つの解も存在する。なお、ブルーハーツではなく添田唖蝉坊である。
結局は、同じことである。
さらに、経験というものはこれまた困ったもので、小学生にして大人以上の経験をして人生観を塗り替えたところで、大人になればただの人である。老人になれば、誰だって同じような経験をしている。結局、レベルアップなんてえものは幻想である。そんなものは、より強いもの、新しいものと対峙するハメに陥るってことで、大人になればそんな話はどこででも在りうる。そして、老人にとって、それは長い人生のごく一部にすぎない。
成長てえものは、そんなもんだ。だから、どこぞの坂口安吾の言う堕落せよに共感が生まれるわけだ。敗戦だの震災だのといった形で無理やりレベルアップだの経験だのさせられたら、それは重荷でしかない。その結果、いつか起こる地震だの原発事故に備え続け、おびえ続けるなんて話は悲劇でしかない。第三次世界大戦も広島長崎の次の原爆の悲劇も起こらないまま、60年以上にわたってイメージ先行で日本人を縛り付けたように、日本の未来だの子供達の将来だのといったどうしようもないものを相手にさせたがる。
レベルアップやら成長やらが、それに見合う知識や知見を与えるとは限らない以上、さっさと堕落して、んなどうしようもない話ではない、現実に即した視点を得たほうが楽。そもそも、不安を取り除くためにより不安になるというのは、根本的に間違っている。
はたから見ている分には色々と面白いけれど。
そして、被災地へ向けた言葉の多くが、より孤立感を深めるものになっている件に関しては、いつもの話である以上、仕方がない。そもそも、どこぞの安吾のように敗戦で全てがひっくり返って価値観が変わったような状況ではないため、えぐる表現が出来る環境ではなく、そんな連中が育つ時代でもない。大抵は、カルトが跋扈してから表現が追いかけ、そして世情も動き出す。いつものパターンである。
どうにかなるようになる。これはブルーハーツだ。
</引用終わり>
 
 
そう‥頑張るだの、復興だのと「震災以降焚きつけられ」ぱなしですが、
これほどまでにハッキリと「諦めろ」と言ってくれたページがあるだろうか…
 
そして諦めるのは悪い意味ではなく「自分にとっていい事」であり「当然の事」と‥
 
あの震災以降「がんばろう」とか「復興」と言う言葉の真の意味を知りましたが
これは今後も似た様な自然災害戦災があった時も同様と思うので是非皆さんに言いたいのですが
 
この様な「頑張る」だの「復興」は、決して一般一個人市民の為の言葉ではりません。
そう言う一般個人の気持ちなんか、全く考えられてはおらず、政府や自治体の「プロパガンダ」に過ぎません。
 
あと「復興」については以前書いた通りで「災害に便乗して商売する言葉」であり
けっして被災者が復を成し興ずるって事でもありません。
 
今回の災害では、災害が終わったか?終わらないか?も分からず感じない頃
(地震の余震なんか311後の1年は1日に1回必ずあったというか1回で済めばいい方でした。)
 
ある日突然、テレビラジオ新聞で一般市民を置き去りに勝手に騒ぎ始まった言葉です。
その頃の一般市民は
「相次ぐ余震、先の見えない原発事故、津波の瓦礫の片付け、道路や橋の被害」で疲弊していて
それに鞭打たれてる気分でしかありませんでした。
 
本当に一般市民が欲しかった言葉は、アンサイにある様な言葉だった気が私はしてなりません。