どう表現して良いやら…

最近「台湾」を持ち上げる記事がweb上に踊る中、自分的に「これは余計では?」と思う点があります。
(決して台湾が嫌いなのではなく寧ろ好きな国です。私も日本人宜しく「相手が好いてくれるなら」と単純&受動的ですから)

そして、以下「その余計」は台湾の方が言ってる訳でもなく、日本人が言ってる話であり…
台湾の人々も「それを何時までも持ち出さなくとも、もう十分」と…日本人に考えが近いのであらば
そう思ってくれてそうな気のする話ですが…つまり

東日本大震災に対し、台湾は世界でもっとも多額の支援を被災地に寄せてくれた。
↑これです。昨今の台湾国を語る際に「書かれてない方が少ない」であろう文言ですよね。

確かに大震災当時の政権がロクで無しな対応を台湾国にした為に。
マスゴミ連中が台湾国が日本に、どれだけ"してくれてるか?"あまり報道しない為に。
この事実が当初日本国民に余りにも周知が無く、知らせるべきであった時期はありました。

でも今はどうでしょう?「知らない人が少ないくらい周知が上がってきてますよね?」

それと「多額の寄付を貰った側」として、こんな「言い方」は大変な失礼に当るかもしれませんが
お金(経済力)のない貧困に喘いでる国の人々も「自分の食費や生活費」まで削って寄付してくれました。

あまり「金額」の事ばかりを持ち上げすぎると「気持ち」って部分が疎かになってしまう様な…
私は、そんな気がしてなりません。

確かに「世の中金」なんでしょうし、実際「貰えれば貰っただけ助かるのも事実」で否定はしませんし
本当に感謝すべき事なのは「言わずとも当然」なのは十分に承知した上で…って事なのですが

台湾国の国力に、どうヤっても適わないが、出来る限りの事をしてくれた国々の事を思うと
やたらに金額金額というのは、それこそ「自分が嫌ってる某国」の様になってる気もして…
って言うか「震災を喜んでくれた某国」まで感謝しろ!とか言ってる訳ではないですが…

そうそう「ブータン」を思い出してください。
国王が自ら、また安全だか危険だか分からない時期に福島県に足を運んでくださってます。
(実は今でも、結論もなく…なんだけど。当時はほんと来たら速攻で居るウチに病気になる…なんて思もわれてた時期ですし)
それこそ当時の民主小沢なんかは岩手にすら寄り付かず逃げてました…そんな頃の話です。

金銭の多い少ないで言えば「ブータン」は影が薄くなってしまいます。
でも「それでは良くない」ですよね?
(現在ブータンは殆ど語られなくなってしまいましたが…ホント日本人ってのは…orz ブータン国すみません。)

確かに世の中「金」なんだろうなぁ…ってのは人間40年もヤってれば分かりますし
私の中にも「そう言う自分が居る」のも否定はしません。台湾国には本当に感謝しています。
(ちなみに義捐金の類は、私は一切受け取っていません。でも目に見える金でなくとも
同じ日本人が助けてもらったり、何かの公共物になってるなら、それで十分感謝に値するもの…と考えています。)


でも…だからこそ、金金金金って「キムさん」じゃないんだから、
あまり表面的な表現で使うのは、どうか?と
妙に違和感を感じてしまうのは…私が変なのでしょうかね?