合磯(二見ヶ裏海岸)

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昨日仕事で、お邪魔しました。
海岸沿いのお宅に行くと「津波」の話を伺ったり…私は平気で言うのですが
会社で聞いてみると「どうにも他の人は話題にしづらい」そうな。

津波の潮が、あがる様な場所に住んでて実際上がったのは私の家(当時)だけで
その他の人々は、それより内陸で津波を生を見てないと気が引けるらしい。感覚が違うのかな。
(近所の後輩の混沌君宅はギリギリ潮が来なかった場所だったりですが…)

さて、見て分かる通りお客さん宅は健在で、その向うに見えてる家は
「実はソックリしてる様で1回はぼろぼろ」で、まだ解体か?どうか?決めかねてる感じ?の様でした。

…ってか、この辺りは「本来もっと家があったはず」と、お客さん宅(少し高い丘の上)から海を見ると…
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上屋のない基礎だけがゴロゴロと見えます。
この基礎の中に現在畑を作ってる状態を見て「どう捕らえていいのやら」と思いフケっった後
お客さんから色々話を伺う事が出来ました。

ここに住んでるのは、実はお客さんのお母様で1人暮らしだそうです。
お客さんは息子さん(といっても私より15~20歳は上の方)が、まだ住んでた頃?子供の頃は
この下は松林で家はウチ以外に1件も無かった。あとあと切り開いて家が立ち並んだが…
昔の人は「ここから下に家を建てるなって言ってたのにねぇ…この有様だよ…」とうかがいました。

お客さんが子供の頃~独立する頃…なんて「私は生まれて」もないし
ここが松林だったとか…ニワカには信じられないので帰宅してから調べてみました。

まずは現状(震災前)の画像から…(震災後を先に出すと説明が面倒ぃので)
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赤の十字マークが、お客さん宅。

1952年(昭和27年)の航空写真
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ごめんなさい文字がボヤけてしまってますがピンクで印をつけた場所が多分「お客さん」宅。
本当だ…この家って本来は松林に囲まれた一軒家だったんですねぇ。(お客さんがウソを言う訳もないけど)

所で、この1952年の画像を見て、さらに驚いたのが…って言うか謎が解けたのがココ
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○で囲った辺り…と、その上の細長い林…

現在(震災前)は家が立ち並び
この辺りの高低差が分かりませんでしたが、現在津波で家が流されて何もなくなってしまったので
逆に「この辺って妙に高低差があったんだ」と驚いた場所ですが、以前は松林だったんですね。

所で題名に書いた「二見ヶ浦」の名前の由来は名前の通りで…
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上で紹介してる航空写真で言うと右下の辺りに2つの岩(元は岬だったのが侵食で削られたもの)があったはず…
なのに幾ら探しても1個しか見えないし、あれ?自分の勘違い…だったら2見ヶ…って一体…と思ったら。

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実際に津波地震で消えてしまったそうです。(市の観光HPより…画像も、そこから引用)

岩の形も何か変だなぁ…と思ったらやっぱりね。照島もそうだし、富岡の蝋燭岩もだけど…
何かその原発放射能で失われたもの…だけではなく、地震津波で失われたものも多数あります。

見慣れた景色、そこにあって当たり前の景色…も、変わる事もあります。
皆さんも見慣れた景色や日常…大切にしてくださいね。