福島県 双葉郡 富岡町に行ってみました…

先日、この日誌で少し触れた通りの理由で「富岡町」へ行って来ました。
震災の前日である2011年3月10日の夕方に通った以来なので約2年ぶりです。

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ココは富岡ではなく手前の手前の町である双葉郡広野町です。

広野はコンビニやガソリンスタンドも再開しており、一見普通…ですが
それらは主に「発電所復旧関連事業」向けであり住民相手ではありません…って言うか
相変わらず住民は戻ってない感じがします。

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こんな感じで東芝の工場がある訳でもないのに、社名が入ったバスが走行していて
その他に「日立」とか、「東電環境だの東電工業」だの、「関電工」だの…市内では見かけないものが多いです。

震災以前であれば、住民や貨物輸送(通過)トラックにマミレて目立たなかったのですが
現時点では非常に目立つ…気がします。

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ここは富岡の隣の「双葉郡 楢葉町」です。
厳密には帰り道であり国道六号線ではなく県道35号線なのですが、国道6号でも同じ光景が見れます。
(行きに楢葉町内で撮影をしませんでしたので、帰りに撮影。)

この黒い「ゴミ袋」のお化けみたいなのは「除染作業で出た言わば汚染物」です。
町の中数箇所に汚染物集積場所が点在しており、私が見ただけで3~4箇所あります。

震災数年前に、前楢葉町長が原発から出る放射性廃棄物の保管場所候補に名乗り出たのですが
県を通り越して町独自での事だったので「県知事」に一喝されて終わったのですが
結局震災~原発事故で「実現」した…なんて嫌味は置いといて。

汚染物とは?一体何だろ?と思われる方も居るので説明すると
例えば山の山林。杉林…中を歩いてみると杉の落葉やら、それから芽吹く雑草なんかがありますよね?
それら低い場所にある層の草木です。

あと田畑も除染作業の対象で、警戒区域解除直後の
田圃だった場所に雑草が生い茂りクサムラに変わり果ててる…姿は現在はなく
ちゃんと「田圃」ってのが分かる状態になってます。

県道35号線は山の麓を通るルートで、双葉郡の方々からは「山麓線」と呼ばれていますが
(いわき市民の場合、いわき浪江線の方が馴染みある名称ですね。)
その山麓線の脇の斜面の山が除染作業で、まるでゴルフ場の様に綺麗に下草(木)が掃除されてる姿は
異様…ではなく「人間の力ってすげぇ」とか「ここまでするんだ、出来るんだ」と驚きました。
(効果がイマイチ無い事に対してヤってるレベルを超越してる。)

では、いよいよ富岡町に入ります。
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震災当時「第二」もなかり危ない状態であり、「第一」と同じ事になってたら
2年後である今も、ここを通る事は出来なかったであろうと思うと「ゾッ」とする名前があります。

この辺で南下してくる対向車を見ると、みなさん「マスク」とかしてるし、半数は「防護服」を着ています。
対して私は「仕事着」であり、マスクもしてませんし、
ここまでで「注意書き」もあった訳でなし「検問」も、すでにない…のに関わらず対向車に乗る人々は
警戒区域さながらの装備」に自分が異質な世界に入り込んだ様な錯覚を覚えますし、
何の覚悟もなく気楽に着た人は
対向車に乗る人々の装備をみて「引き返したくなるのが必至」なのが「富岡」の現状です。

ちなみに上の画像で「交通マナーup」との看板がありますが、
これは双葉郡住民の全体が交通マナーが悪いから、わざわざこんな風に…って言うよりも
原発作業員の通勤の運転が、相当荒っぽいからです。(震災前から)
この看板も震災前から置かれてるものだと思います。

この様な普通見る事の少ない、ちょっと変わった、子供に親が説教する様な文字は
道路に限らず、双葉郡内の食堂にも震災前から見る事が出来て
「暴力追放」だの(大熊町道路)、「暴れたら警察呼びます」だの(富岡町飲食店)
そこにも一風変わった光景が震災前から双葉郡には存在していました。

って事で最初に向かったのは、お約束ですが「富岡駅」です。
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この先に見える歩道橋の先の交差点を右折します。
ピンクで○を付けてる位置は、この日誌で良く話題にする「NTTのライブカメラ」の場所です。
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カメラは、ちょうどコッチに向かって撮影してるハズで、今日の昼間は写ったはずです。


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ちなみに道路は幹線道路で、ようやく震災被害の仮復旧が終わってる程度で
調子に乗って走行してると「痛い目」に合います。わき道なんかは全く復旧されず
「穴埋め」に砂利が入れられてる程度で、2年前の震災を思い出すには十分な状態です。

いわきも震災以降「道が凸凹で悪くなった」とは思いますが、
それは復旧を終えて多少「波打ってる」程度であり
ここはまさに「凸凹や穴がそのまま」って状態です。

この富岡駅前に国道から向かう道の途中で異臭が漂ってきます。
臭いは「温泉の様な硫黄」ぽい感じで、そして結構猛烈な臭いです。

最初は、震災によって近隣の?温泉施設??が壊れて、源泉が溢れてるのか?とか思ったのですが
駅前まで来て、だんだん臭いが増し変化して来て「原因」が何か?分かりました。

津波による家屋破損を警戒区域指定により2年間放置した結果で
(つまり潮水の清掃が出来ずに染み付いてしまったわけ。)
瓦礫が腐った(って表現はおかしいかな?)臭いなんですね。

外まで漏れてしまってるのは「津波で家屋が損壊して中の臭いがダダ漏れ」だからであり
家が壊れなかった家屋でも中身は、えらい臭いの可能性もありますよね。

これでは「修繕できた」かもしれない家も臭いが付いてしまい住む事は出来ません。
これを東電では「家屋損壊は津波であるからにして家屋保障をしない」とか言ってるそうです。

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2年目にして、ようやく「生の目」で津波に襲われた鉄道駅の姿を見る事が出来ました。
(富岡以北や、宮城や岩手にも点在するけれど、なにせ北側が原発で栓をされて素直に行けませんからね)

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651系が引退した今、ひたちに11両はありません…と言うか
震災以降1年目で「いわき以北の特急は休止から廃止になっています。

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津波で流され2年間、そのまま?である車。所で右端の人…相変わらず防護服。笑
目つきの悪い感じ悪い奴だなぁ…と思ったら背を向けたら防護服の背中に「ポリス」とか書いてありました。
車はパトカーでもないし、怪しい連中にしか思えませんけど。ホンモノなのか聞くより
関わらないに越した事はないので放置プレイで。

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これは被災直後からの富岡駅を代表する光景である「線路に落ちてる車」です。
相変わらず、このままとは思わなかったが、現存してます。

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この画像だけ説明の為に「デカイ」サイズで…津波で流された車が、そのままだったり、
瓦礫処理で邪魔だった車(道路を塞いでたり)が並べて奥に置かれてます。

車は財産扱いなので所有者に連絡が付かないと下手に動かせない話は2年前に良く分かった話ですが
その現状が富岡では「そのまま」な状態が「今」も続いていて、ほんと震災が、そのまま続いてます。

震災後、そのままったら、これ。
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auショップ富岡店。
先日紹介した「浪江店」同様に、当たり前ですが震災があった頃の「旧ロゴ」のまんまです。

実はココで機種変更した事が多く…って言うか、
機種変更する時は家族の分も含めて大概富岡でヤってました。
人が少ないので空いてるし、機種変更移行手続きを店にお任せして
川内村にソバを食べにいったり大熊に餃子を食べに行ったりして、
帰りに携帯受け取るパターンで大変お世話になった店です。

食事をしなくとも、とにかく「自然の景色」と「人の少なさ」が私には「双葉郡の魅力」と思ってましたので…

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さて、ここから少し先の富岡消防署?から先は、私は通行できないし、周りの方の装備からするに
あまりにも私は浮いてるので帰る事にしますか…(長居は無用ってのがヒシヒシ伝わる)

あ…
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富岡には、こんな「お城」の様な「豪邸」みたいな施設があったのを帰り道に見て思い出しました。

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東電の「原発洗脳施設」ですね。…まぁ東電に限らず全国各地の原発自治体には
こう言った「原発はクリーンで安全なエネルギーです。(笑)」と洗脳する施設が点在してますが
それの「1つ」です。ってか震災前から国道を通るに「富岡を代表する景色の1つ」でしたが…
いやはや、今みても、これは凄い施設ですね。(中身は知らん。いわき市民には関係ない施設なので)

この後、富岡警察署の脇を通り、旧スーパーセンター脇から県道35号線に抜けたのですが
震災前には意識しなかったけど、東電!東電!って、ほんと富岡には東電の施設や看板が多く
まるでココだけ「東京電力の電気で動いてるのか」って思う程です。

言い方は悪いですが富岡町は東電と一蓮托生なのがヒシヒシ伝わってきます。
(不思議な事に、それが1番感じないのは楢葉町。あまり東電の関連施設が少ないのか?目だってないのか?)