<お願い>
今回、当ページで扱う画像の左側(震災災害前)は、私の撮影ではありません。
右半分は私が2013年4月16日に撮影したもので、
左側は2006年に「ステージアと走れ」の管理人さんが撮影されています。
http://www33.tok2.com/home/m35rx4/
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101123700.jpg)
当ブログ(日誌)の画像のマタ転載は、一切禁止と致します。
画像の無断転載は、今の世の中「画像検索」で簡単に判明する事なので、ご留意ください。
<注意>
私は「震災前の光景を忘れたくないから」と思い、今回の記事の内容の場所へは
仕事で仕方なく通る時以外は無闇に立ち入らない様に今までしておりました。
今回「ある事情」から、もう2年にもなるんだし‥と
「ショック療法」的に、現実を受け入れる為に撮影と言う行動を起こしましたが、
その時期は人それぞれ‥ですから、
「この話題を避けたい方はココでページを閉じるなり戻る事」を薦めます。
以上2点、ご理解宜しくお願い致します。m(_ _)m
薄磯地区
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101123850.jpg)
![イメージ 10](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101123710.jpg)
![イメージ 11](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101123720.jpg)
![イメージ 12](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101123730.jpg)
![イメージ 13](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101123740.jpg)
![イメージ 14](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101123750.jpg)
![イメージ 15](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101123800.jpg)
豊間地区
同じ場所とは、にわかには信じられないかもしれませんが、
灯台との位置関係や防波堤の切れ目、電柱、道路の線形を見ると
(電柱の電線や支柱は震災後に張替えられてるのでアテになりません)
やっと同じ場所なのが分かってくるかもしれませんね。
実は、現在の姿を撮影するにあたり
PC(ノート)に災害前の、左側の画像を詰め仕込んで
現地で比較しながら撮影してきました。(やっとvaioが役に立ったな。笑)
位置関係を比較してるウチにPCの中の画像が「ほんもの」で
今、目の前に広がる光景が「夢」の様な変な錯覚に陥ってしまいました。
位置を確認するのに外で画像を確認していると、
老人の方から声を掛けて頂き非常に懐かしんで頂けました。
福島県って言うと、原子力災害ばかり取り上げられて、津波について触れられる事が少ないです。
(それでも茨城や千葉沿岸よりは、まだ県内報道的にはマシですが‥)
「ステージアと走れ」の管理人様からの画像使用許可問い合わせの返信に、こんな一文がありました。
>同様の依頼は今まで震災で被災した南三陸町、石巻市、南相馬市などからもあり
‥震災前の景色を忘れたくないから現地に無用に立ち入りたくない思いから、
この話題に余り触れなかったのだけれども、他の町々の方の方が立派に先に進んでたり‥って事に驚きました。
なにせ「当地」の場合、北が原発で栓をされて、
津波被害のあった北側の方との交流も無くなってしまいましたからね。
今回、比較画像を作成するに当たり気付いた事‥それは
「私が生きてるウチに元の姿に戻る事はないだろう」って確実に気付きました。
(元の姿=元の家ではなく、災害前の様に家が並んで人が暮し、町が形成され海水浴が開かれ海の家が立ち並ぶ姿)
仮に、現在復旧復興計画があったにして、それが順調に進んだとしても‥って意味で
政府が!自治体が!って責める意味ではりません。‥つまり難しい表現ですが
「それくらい時間が掛かって当たり前な規模の災害が起きた」って事です。
海水浴場なんかも、あの災害を味わった世代が生きてるウチは無理でしょう。
(あの災害=沢山の方々が亡くなってる海って事実です。)
‥つまり「自分の目で復旧復興した姿を見る事なく、私は去ってゆくんだろうな」そんな思いです。
誰のせいでもない。自然のヤった事です。仕方ありません。
ただ、こんな例えは相応しくないと思いますが、他に上手な例えが思いつかないので
書かせて頂きますと、人の死には「病死」と「事故死」があります。
前者の場合でも「たしかに受け入れがたい事実」ではありますが
ほんの少しでも覚悟を決めたりする「時間」が存在すると思います。
でも「事故死」の場合は、それがない。「ある日想像もしなかった出来事が突然」です。
その事が…どうにも「この災害」に被ります。
![イメージ 16](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101123810.jpg)
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101123920.jpg)
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101123910.jpg)
![イメージ 5](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101123930.jpg)
![イメージ 6](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101123940.jpg)
![イメージ 7](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101123950.jpg)
![イメージ 8](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101124000.jpg)
![イメージ 9](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101124010.jpg)
![イメージ 17](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101123820.jpg)
![イメージ 18](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101123830.jpg)
![イメージ 19](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101123840.jpg)
同じ場所とは、にわかには信じられないかもしれませんが、
灯台との位置関係や防波堤の切れ目、電柱、道路の線形を見ると
(電柱の電線や支柱は震災後に張替えられてるのでアテになりません)
やっと同じ場所なのが分かってくるかもしれませんね。
実は、現在の姿を撮影するにあたり
PC(ノート)に災害前の、左側の画像を詰め仕込んで
現地で比較しながら撮影してきました。(やっとvaioが役に立ったな。笑)
位置関係を比較してるウチにPCの中の画像が「ほんもの」で
今、目の前に広がる光景が「夢」の様な変な錯覚に陥ってしまいました。
位置を確認するのに外で画像を確認していると、
老人の方から声を掛けて頂き非常に懐かしんで頂けました。
福島県って言うと、原子力災害ばかり取り上げられて、津波について触れられる事が少ないです。
(それでも茨城や千葉沿岸よりは、まだ県内報道的にはマシですが‥)
「ステージアと走れ」の管理人様からの画像使用許可問い合わせの返信に、こんな一文がありました。
>同様の依頼は今まで震災で被災した南三陸町、石巻市、南相馬市などからもあり
‥震災前の景色を忘れたくないから現地に無用に立ち入りたくない思いから、
この話題に余り触れなかったのだけれども、他の町々の方の方が立派に先に進んでたり‥って事に驚きました。
なにせ「当地」の場合、北が原発で栓をされて、
津波被害のあった北側の方との交流も無くなってしまいましたからね。
今回、比較画像を作成するに当たり気付いた事‥それは
「私が生きてるウチに元の姿に戻る事はないだろう」って確実に気付きました。
(元の姿=元の家ではなく、災害前の様に家が並んで人が暮し、町が形成され海水浴が開かれ海の家が立ち並ぶ姿)
仮に、現在復旧復興計画があったにして、それが順調に進んだとしても‥って意味で
政府が!自治体が!って責める意味ではりません。‥つまり難しい表現ですが
「それくらい時間が掛かって当たり前な規模の災害が起きた」って事です。
![イメージ 20](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101123900.jpg)
(あの災害=沢山の方々が亡くなってる海って事実です。)
‥つまり「自分の目で復旧復興した姿を見る事なく、私は去ってゆくんだろうな」そんな思いです。
誰のせいでもない。自然のヤった事です。仕方ありません。
ただ、こんな例えは相応しくないと思いますが、他に上手な例えが思いつかないので
書かせて頂きますと、人の死には「病死」と「事故死」があります。
前者の場合でも「たしかに受け入れがたい事実」ではありますが
ほんの少しでも覚悟を決めたりする「時間」が存在すると思います。
でも「事故死」の場合は、それがない。「ある日想像もしなかった出来事が突然」です。
その事が…どうにも「この災害」に被ります。