小学生が書いた「ごんぎつね」の感想で議論勃発 ごんは撃たれて当たり前?

小学校の国語の教科書では定番の童話「ごんぎつね」。この物語に対する1人の小学生の感想が、
2ちゃんねるのスレッド「姪っ子のごんぎつねの感想が問題になっているんだが……」で議論を呼んでいます。

 覚えていない方のために簡単にあらすじをご紹介。いたずら好きなきつねのごんは、ある日兵十が病気の母親のために
用意したウナギをわざと逃がしてしまいます。ところが、その後母を失って落ち込む兵十を見てごんは反省、
償いのために魚や栗を兵十の家に届けはじめます。しかし、そうとは知らない兵十はごんがまたいたずらを
しにきたのだと勘違いし、ごんを火縄銃で撃ってしまう。
そこではじめてごんが食べ物を運んでくれていたことに気付くというお話です。

 多くの子供は「ごんがかわいそう」という感想を持ったようですが、投稿者の姪は「やったことの報いは必ず受けるもの」
「こそこそした罪滅ぼしは身勝手で自己満足でしかない、(兵十はごんの反省を知らないのだから)撃たれて当たり前 」
とシビアな感想を抱いたようです。この感想が学校で物議を醸しているそうで、スレッド内でも大きな議論に発展しています。

 「小学生でそこまで考えられるのは凄い」「撃たれて当たり前って言うと物騒な子だと受け取るかも知れんが、
これはこれで筋が通ってる」とこの感想を肯定的に評価する声がある一方、
「ごんぎつねが悪いとしてもごんぎつねだって可哀想だろ」「ごんの気持ちも考えるように指導するのが大人」
といった意見も。「感想」に対して問題があると指摘すること自体がおかしいという意見も多く出ていました。
さまざまな捉え方ができるこの物語、あなたはどう思いますか?

う~ん。子供にしては、随分と大人びた刹那的な感想ですよねぇ。
確かに理屈は通ってるし、大人が言うなら「そう言う考えもある」でイイのですが…

その↑で書いた大人も、子供の頃に「子供ぽい考え」をしていて
成長?だか汚れて?だかして、そう言う考えを出来る様になってる訳で

最初から「こう言う考え方の子供だった」方は少ないと思います。

…つまり、この話って「あなたならどう思いますか?」で答えが出てるんだけど
"あなたなら、どう思いますか?"って問われて「色々考える」訳ですが

幼少から、ここまで理路整然とした考え方だと「その他の意見もある」って部分が
大人になっても無くて「幅の狭い人間」になってしまう気がします。
(↑他人の事を私が言ってる場合では無いのですが…苦笑)

自分が子供の頃って、今では「こんなに頭の固い奴」ですが、
もっと柔軟な考えがあったり、感受性が高かったり、色々な影響を受けたり
ある意味「まるで別人」みたいな部分や感覚が存在していましたが

こんな事を「バシッ」と言えてしまう子供って、何かこう
大人になっても子供の頃が楽しかったとか思えなく、何か悲しい感じがするんですよね。


さて…
他人から見たら、到底許せない様な事があったとして…それを許す事で
自分も楽になる…って考えもなく、延々他人を恨んで過ごす人生とか…

「到底許せない」事は、実際の人生において「避けがたく」
誰しも、そう思った瞬間なら1度や2度…以上あると思うんですよね。

でも、そこで「自分で自分をガンジガラメ」にしてしまう思考もどうか?と思うんですよ。

仮に「自動車の運転」で考えてみて道交法で明らかに相手が悪く自分に非は無い場合でも
それで「許す」ってのがないと年中カリカリの、しっぱなし…です。

この昔話?おとぎ話の場合「人間の死」が絡んでるので、それも、また別次元ではありますが
現代を生きる現代医学を知る者からいえば「魚1匹食えなかった程度で死んでしまう」病状であらば
魚を食えた食えなかったに関わらず…残念ですが「遅かれ早かれ」だった。

…それは当然昔の方だって分かっていて、いわば「爺さんは八つ当たりで狐を撃ち殺した」
とも、考えられなくもありませんね。

…まぁ、どっちみち「そう言う重病人相手にイタズラが過ぎた。」報いとは思われますが…

なんか、さだまさしの歌を思い出しますね。