津波標識

あの災害以降に設置されたもの‥です。
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結構身近ったら身近ですが、自分の近所の飲食店とかをサッパリ知らない様に
身近な故にジックリ見た事も、まして撮影した事もなかったので機会があったので撮影してみました。

2011年3月11日14時の災害当時は、まさに「現在はこの標識がある地区」に住んでおりましたが‥
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この画像も国道(6号線)ですが、位置関係的には
太平洋~遠浅の海岸~砂浜~2・3m程度の防波堤~住宅~県道~住宅街~国道6号~住宅~旧街道(陸前浜街道)~住宅~常磐線~山と言う位置関係の

↑の「旧街道~住宅~常磐線」の住宅地に住んでいました。

確かに、その地に住んだ当時から「地震の度に津波が気になる位置」とは自負しておりましたが
(これは冗談紛れに「某カラ」にも、書いてましたが)

国道が少し高く海に対して平行に土手の様になっているので(多分周囲より0.3~0.5m程高いと思う)
津波があったにしろ、国道を越える事ぁねぇだろ」と、何の根拠もない考えがありました。
ってか「国道を越える様な津波が起きたら、それゃ~この世の終わりだわ!笑」とか言ってた気もする。

んがしかし‥越えたんですよねぇ国道。
まぁ、でも遠浅&新舞子海岸と言う距離の長い海岸線のお陰で、あれ位で済んだんだろうな‥とも思います。

この画像は、そこではないのですが、海岸線の距離が短い所はやはり被害が物凄く
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国道から海側は、全く建物が無くなってしまいました。

北海道から福島県に越した際は、まだ幼く今程「歴史」に関して興味が無かったのですが
(あったらオッサン臭くて、それもまた異常w)

やはり福島と北海道の雰囲気の違いってのは「古い建物」が普通にある点だと思いますが
これは津波だけではなく震災影響でありますが、
最近「古い歴史を感じる一般住宅」が軒並み姿を消してしまいました。

これは震災で、あれだけ揺さぶられた訳で、当然ガタガタになって住むのも危険って事での措置で
それゃ家主だって残念だろうし、仕方のない事であるのですが‥何か雰囲気が無くなって来てるんですよね。

何か福島って言うと「原発」とかのイメージばかりで、その原因の「津波」とか
そのまた原因の「地震」による影響ってのが殆ど語られないんですよね。
(これは宮城、岩手でも津波ばかりで地震による影響が置き去りにされてる)

そもそも震災って言うんだから地震が、そもそもの原因なんですけどね。
その原因の原因、基本の部分での事が‥今後も「スッポ抜け」たまま‥なんだろうなぁと。

まぁ。何を書いてるんだか?分からなくなってきたので、この辺で終わりますが‥

んだなぁ。そう言えば、あと1週間チョイで、震災から3年なんですね。
その日になれば、沢山の方が色々な思いで色々な記事を書くでしょうから
私は、この記事で、少しばかり早めに「震災後3年」って言うマトメって事にしましょうかね。

まぁ震災前に「あの災害」なんか、当たり前ですが想像もしていませんでしたし
知ってたら、前日まで遠く離れた福島市で引越しの手伝いなんかしてる場合じゃなかったし。
朝、出勤する時に、あの家の玄関の扉を閉めて、鍵を掛けるのも最後になるとは思わなかった。
(津波で倒壊したのではなく地震で家が歪んで開かなくなったので蹴破った)

ただ、驚いたのは、この後で
この地震の事だけでも語る事が沢山あり、何年も「その話題」を語れそうなのに
その後の津波とか原発でねぇ‥

ほんと自分の本性、他人の本性、見たくもないモノを沢山見る事になったし。
まぁ、そんなこんな災害当初に想像すらしなかった事が沢山。

でも今の現状、なんだかんだと言いつつも、自分は「まぁ落ち着いた」感もあるのは確かだけど
「安心すると、また逃げられない防げない様な、嫌な事、不幸な事が起きるんじゃないか?」って不安が、
あの災害から頭に根付いてしまいハンパないです。

あれから、いい大人なのに、変な悪夢を時々見る事が多くなって汗ビッショリで起きたりね。
まぁ時間が解決するんでしょう。でなければ絶望だわw
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…終わると書いてから17行も綴るなよw