今から20年くらい前かな‥佐川急便と政治家の癒着事件が発覚して
それから佐川は、派手な建物(あった当時は何かのホテルかと思った。)を作れなくなったのか?
単に目立たない様にしてるだけなのか?
今は佐川は下請けに丸投げするスタイルが主流ですが、当時は佐川で採用した社員ばかりで
その社員の給料も一般的な会社よりも高かった話を、元働いてた人に、その当時聞いた事があります。
‥まぁ、これ。話の本題ではないので程々に‥で、その建物が使われてない風で近年放置されてる風でしたが
それを解体して、新たに災害復興住宅を建て直したわけです。
で、その最上階に仕事で行ったので、そこからの景色なんか紹介したいと思います。
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101135310.jpg)
見えてるのは、勿来&錦の須賀地区とか、植田(の佐糠)とか、岩間地区(勿来火力がある辺り。)
小浜くらいまでかな?
じゃ本題の勿来駅(常磐線)
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101135320.jpg)
ここに以前から高い建物はあったのだけれど、こんな景色を一般の人間が見れる様になったのは
この災害復興住宅のお陰です。市内には、そう言う場所が結構点在する様になりました。
(久ノ浜とか小名浜神白とか)
勿来駅は以前からホームが曲がってる駅(植田も、それっぽい)でしたが
奥に見える長い直線部分に駅を置かず、このカーブに置いたのは?どういう理屈なんだか?
駅の設置自体は100年以上前の明治時代に遡りますので
他の建物があったから~って訳でも無さそうな気がします。
ちなみに以前、戦後間もなくの米軍撮影の航空写真を見た際には
駅は線路の両側に存在していて、今と全く雰囲気が違う事に驚きました。
さて‥この「カーブの中に存在する駅」の謎‥ですが‥
![イメージ 8](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101135420.jpg)
この画像の解説に「上り列車と駅」とあります。当時は分かりやすい。
蒸気機関車が煙を吐くし、大概は先頭な訳で‥つまりこれ、海側から山側を撮影してる。
撮影地は駅を望む小高い丘だか山‥確かに今も、存在してて、そこからこんな風に見れるはず。
(神社があった様な‥だから簡単に行けるかも。ただストリートビューアの画像はないから車では無理かも)
驚いたのが駅は直線部分にあって、そして現在とは反対側の山側。
つまり窪田の集落側に向いてるわけで‥これなら「利に叶ってる」んです。
現在の位置関係の方がオカシイわけ。
その種明かしは「市の歴史のHP」にありました。
http://www.city.iwaki.fukushima.jp/koho/18547/020041.html
つまり開業時想定しなかった貨物の扱いが増えて、貨物の側線を増やすのに余地がある
山側の駅がある場所を側線にしたので、駅の位置が移ったぽい訳です。
当時はカーブの入り口に駅があったんですね。
ちなみに、駅の右側の道路は現国道6号線(幹線)ですが
当時の6号線=陸前浜街道は、もっと海の方を通ってるし
当時も今も勿来の町は、この辺りから左に数キロ進んだ「窪田」地区であり駅からは、相当離れています。
駅から離れた市街地‥じゃない歴史からいえば市街地(町)が先とすれば
市街地から離れた場所に駅があるのは、いわき市内でいえば勿来が1番離れてるかも知れません。
(なので駅前商店街の存在がない。)
近隣市内でえいば富岡駅(双葉郡)が、そんな感じだったけど、今や津波で無くなってしまったし。
そう考えると勿来も、そんなに海から離れてないし平地なのに、あの震災津波での被害は、随分少ないですね。
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101135330.jpg)
でも、その駐車場まで伸びてる線路も見えますよね。
以前、ここには、その先に見える煙突が煙を吐いてる「クレハ錦」の工場までの専用側線があって
貨車が沢山停まっていました。
その線路の左側にホームの跡らしきものが見えますが、これが呉羽錦の専用線のホームと思ってましたが
実は違って、第二次世界大戦の頃の「風船爆弾製造工場」への専用線跡だとか‥
さて、話は呉羽の専用線に戻しますが、専用線が廃止になって、もう10年くらい?かな?
2007年頃に常磐線の電車を新型に一斉に入れ替える際に旧型電車の一時置き場として
その側線が使われたのが最後で、それからは放置されてましたが‥
(以下画像は2007年3月の勿来駅の、その側線の模様。)
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101135340.jpg)
![イメージ 5](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101135350.jpg)
![イメージ 6](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101135400.jpg)
![イメージ 7](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ookamigoya/20010101/20010101135410.jpg)
震災後の土地不足の絡みでいよいよ宅地にでもなるのか?と思ってたけど
いよいよ転用が始まってるのかも知れません。
と言うか、この側線の部分の地権者ってJR(旧国鉄)じゃなくてクレハ錦なのかも?
JRだったら、とっくに宅地転用とか、してそうですし。