呪怨

キモチワルイ。
昨日の今日?今日の今日?ですが、1個前の記事で話題に出した方。
今朝、車が動かなくなったそうな。

私が車に、ある程度詳しいから(っても素人です。金取る程の知識なし)
どうにかならんか?と、電話があったみたいですが(着信履歴見た)
今日は休みなので、その時は電話に出ず、あとから掛け直して聞いた話です。

逆に電話に出てたら、朝ぱら、休みなのに出向かなきゃならなかったので
出れなくて(気付かなくて)ラッキーでしたね。

その話を聞いた時に、前記事で「あれだけ書いてる」んだから
ざぞかしラッキーと、踊りの舞でもしたんだろう‥と、思われる方も居ると思います。

客観的に、前の記事が私が書いたものではなく誰かが書いてて
その数時間後に「この記事」では、同じ風に思うと思うのですが‥

以前も似た経験があったけど‥
何だか素直に喜べない‥です。

や、寧ろ「人の不幸を喜んでる様では、どうしょうもない」んじゃないかと。

以前も‥の時にも思ったのと今回は同じ感覚ですが
じゃ俺は一体何を望んでいるんだ?って点。

あれだけ恨みツラみを書いておきながら、相手に「バチ」が当たった様な事があっても
気分は宜しくない。(実際こうして2度も感じてるから、この感覚に間違いはない)

良く「恨み積年」に頭が支配されてる時に思う事。
「バチが当たったにしても大概の場合、それは私の知りえない場所で起こってるから私にはわからない」
「そもそもバチが当たる様な事を平気でする人は、バチが当たってるのにバチが当たってるとは思わない」

その時は「そう言う感情に支配されたり」で恨み積年で綴ってるので‥何かヤるせないなぁ‥とか思う訳ですが
そうかと思えば、通常は知りえない「バチが当たった状態を知るも素直にザマァ( ̄ー ̄)ニャッ」なんても思えない。

結局なんだその‥「人を恨んだり」「憎しんだり」しただけ損かも知れません。
昔から良く言いますよね。「人を呪わば穴2つ」って。

こう言う言葉は、自分の心の戒めとして意味を為すのもの‥ですが
分かっていても「怨恨の鬼」と化していると、すっかり、どこかに飛んでしまうもの‥
生きてる間は「生涯勉強」とは言ったものですが‥なんだか最近。
うむ。‥生きるって面倒くさい。
(結局それかよw)