初めての1人旅を、人は一生忘れない。

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ええ‥その通り。

私が北海道から、現在の地に越したのは、小学から中学になる頃ですが
祖父、祖母の里がココなので、それまでも夏休みやらには、ちょくちょく来ておりました。
今にして思えば、それは北海道から、現在の地に越す準備だったのかも知れません。

北海道で住んでた家は祖父の退職金で建てたものですが、結局処分したのを知るのは随分後です。
知ったキッカケは壮大なw親子喧嘩して「俺は北海道に戻る!」とカマしたら
「もう家は別な人が住んでる」とか言われ戻る所が無いのは、その頃知りました。高校2年の時だったかな。

あ、何で越したか?ですが祖父が退職前から病気を患っておりまして
自分の死期を悟ったのか?生まれ故郷に戻りたいって事が発端です。
(確かに「試される大地」って言うだけあり、歳を取れば取るほど厳しさは堪えますからね。)

あ、すみません話題が逸れました。初めての1人旅ですね。
そんなこんなで、現在の地へ、帰る準備で、ちょくちょく来てる頃。
それゃ大人の都合なので遊びに来てる訳でもなし、親戚の家に居たのですが
暇になって、「電車」(当時は汽車ってたけど)に乗って海に行こうと思った訳です。

今の時代とは違い緩い時代ですし、アメリカでもないので小学高学年児童が
鉄道に1人で乗る事は、そんなに「お咎め」もなく、‥まぁでも親には黙ってたかな?

小学生なので運賃は半額なので大人片道料金で往復できますしね。
で、フラフラっと歩いて「平駅」(現在の「いわき駅」)から、海が見える久ノ浜まで乗る事にしました。

当時、ウチの親は免許を持ってなかったので、公共交通機関で移動するのは当たり前で
切符の買い方やら時刻表の見かたとか知ってましたので、全然抵抗はありませんでした。
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乗ったのは、まさにこれ。10時32分発のED75が牽く旧客です。
後に、これが気に入って何度も乗ったのですが、まさか「この列車を写してる方」がいたとか
ネットで画像を見て、大喜びしてしまいました。
(この後のは12時18分の相馬だか?原町行きの気動車でウルサイから好きじゃなかった。)

先の震災で常磐線津波で被害を受けて不通になったのはご存知かと思いますが
意外な程に車窓から海が見える場所は限られてて、近くでは久ノ浜~四倉間でした。
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そうして、久ノ浜に降り立ち、町の駄菓子屋で、お菓子を買って海まで歩いて
海に落ちてる波だか?川で洗われて、まん丸になった石を拾ってくるのが「自分的お土産」で
その後も何度か繰り返しましたっけ。

震災直前の頃は、走行してる車両は変わっても、久ノ浜の町は変わらずで
いつか、あの頃の様に電車に乗って、同じ道を歩き、町でグダグダしてから海に出て石を拾って帰ろう‥と
そんな風に思ってました。

だた‥早々に変る事もないんだから、まるで年老いた祖父の様に「もっと歳を取った時の楽しみに」と‥

そうしたら、あの大津波。久ノ浜の町は「まさに全壊」してしまい、挙句に「火災」まで。
今、町があった場所は、大きな堤防と公園(予定地)になり、人の住む家、商売を営む店は消えた挙句
区画整理で「道」すら無くなってしまいました。

うん。何が言いたいか?って言うとですね。
同じ様な思いを抱えてる方が居たとしたら、「行けるうちに行け!」です。これは断言できます。

確かに行ったら行ったで、子供の頃に見た風景が変わってたり、大人目線で見える景色光景に
ガッカリしてしまうかもしれない‥と躊躇されてる方も居るかもしれない。

でも、その場所‥まさか変る事もないだろう‥と思ってたものが、一瞬で消え去る事が‥
あるかも知れません。

ちなみに中学1年の頃の初デートも久ノ浜でしたね。うん。何だその、そんなものか‥
諸行無常ですね。

あ、最近自転車に乗り始めた事は、もうアチコチで書いてるので周知の事実ですが
自分が中学の頃~高校で2輪の免許を取るまで、自転車でアチコチ走った街は
変ってたり、変ってなかったり‥でも、変ってる場所でゲンナリするよりも
変ってなくて「変らねぇなぁ」と、心の中で懐かしく思いニヤけた方が多かったですよ。

自転車は、ちょっとした「タイムマシン」なのかも知れません。
それが「鉄道」だったり‥幼い頃に訪れた町だったり。